『限りある時間の使い方』は、ハイデガーの「自分は限られた時間である」が
キーワードとして、いつも意識されていたので考えることが多かった。
今日で終わりです。
(㉒、㉓、㉔)
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「㉒ 〈忙しさ依存の悪循環〉
アルコール依存なら誰かが気づいて介入してくれるかもしれないが、
忙しさ依存に陥ってもまず誰も助けてはくれない。
社会全体が、忙しさ依存を推進している」
「㉓ 〈ちっぽけな自分を受け入れる〉
●コロナ禍と偉大なる休止
本当の話、あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。…
●ほどほどに意味のある人生
「宇宙の圧倒的な無関心」」
「㉔ 〈終らない準備期間〉
「自分はまだ本当の人生を生きていない」という奇妙な態度がよく見られる。
…
「それしかできない」ということは、裏を返せば「それしかしなくていい」ということ」

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㉒
〈忙しさ依存の悪循環〉
「忙しい」とは、
「急いでしなくてはならない事に追われている」
「する事が多くて休む暇もない」こと。
それでいいのなら問題ない。
そうでないなら、「急がなくてもいいようにする」とか、「する事を減らす」
というように、「忙しさ」を解決しなければならない。
仕事などの忙しさを本来は、「急がなくてもいいようにする」とか
「する事を減らす」と「社会全体」の問題として行なわなければならない。
なのに現実の多くは、個人の問題にされている。
(真面目な人、仕事熱心な方は、社会からの期待が大きいので、それに応えようと「自分」を
仕事のような「社会」に優先させてしまいがちだ。
それがほんとうにいけない。
疲れなどの自覚があっても「まだ大丈夫…」と、次の㉓ 〈ちっぽけな自分を受け入れる〉ことできず
ガンバリを続け、そして倒れてしまう)
「社会全体が、忙しさ依存を推進している」という事実を
しっかり認め、自分を大事にしなければならない。
(私は「限られた時間」。人間という「ちっぽけな」存在)
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㉓
〈ちっぽけな自分を受け入れる〉
老いれば(老いてみないと実感はわかないけれど、若くても想像はできる)否応なく、
自分の限界がわかり、自分が何者たりえたかが感じられてくる。
私という一個の人間はほんとうに「ちっぽけ」なのだということ。
そうだという事実をすなおに「受け入れ」よっと。
(これでいいのダ!)
誰かに「本当の話、あなたが人生で何をするかは、
そんなに重要なことじゃない」と言われたら、腹が立ち、
「放っといてくれ。アンタに言われんでもわかってる」と返したくなる
「宇宙の圧倒的な無関心」」という言葉。忘れんとこうと思った。

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㉔
〈終らない準備期間〉
「自分はまだ本当の人生を生きていない」と、生きている自分が言うのだから
そういうことはあり得ない。
「「それしかできない」ということは…「それしかしなくていい」」
だって、私は「限られた時間」なのだから。

ちりとてちん
啓蟄の 思ひ日にゝ 新たなり 虚子