『SNSの哲学』 戸谷洋志・著

(グーグル画像より)
読みやすく、親切に書かれており、とてもよかった。
SNSはしたことないのでわからないけれど、魅力的なものらしい。
(しないのは、言いたいことを字数制限でまとめる能力はないし、ちょこちょこ面倒くさそうだし
したい気も起きないからに過ぎない。
《ブログも広い意味ではSNSなでしょうが、伝えたいことをうまく表現できないので誤解の恐れは
不可避でも、いちおう自分の納得できる記事を作れ、ごくごく少なくても他の人に見てもらえます
-拙い記事を目にしてくださり、ほんとうにありがとうございますー》)
著者は若いながらも大学の哲学の先生。
ご自身もSNS愛好者だから、若い人のSNS利用は実感を持ってよくわかる。
この本は専門の哲学という立場からSNSを見てみようというもの。
二回に分けて書きます。
今日は、①「なぜSNSで承認されたいのか?」
(次回は ②〈 SNSに偶然はあるのか?〉です)
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「① 〈なぜSNSで承認されたいのか?〉
私たちはなぜ承認を求めるのか?
(著者は初めに、いまの若者は生まれたときから既にSNSは存在していた、
SNSとともに成長したので、「SNSの人間関係」と「現実の人間関係」は等しくない、
同じではないという)
新世代の人々(いまの若者)は「ラインのIDを交換する」
「インスタを相互フォローする」ということが事実上の人間関係の開始を
意味する…
(「承認」というのは他人が自分を認めること。ゆえに「他律」的なもの、「他律性」的なもの。
しかし)
他律性は悪者(よくないもの)ではない…
自律性と他律性はつながっています。私たちは、自分が何者であるかを知り、
自分のアイデンティティを確立するために、
どうしても他者の力を借りなければならない…
(自分ひとりで「自分とは…」と悩んでもわからない)
他者の承認によってこそ自分を知ることができる
…
私たちは自分のことをよくわかっていない
「自分が何者であるかを知りたい」と望むことこそ、承認欲求にほかならない
…
相互承認の境地へ
(著者は哲学者らしくヘーゲルを引用し、ヘーゲルが「承認」について考えたことを紹介する。
「承認は必然的に挫折する」と。
次に、その「承認欲求の挫折はそれだけにとどまらず」「疎外」されると)
他者による承認によって自分自身を確信しようとすることは、
他者を、自分自身を確信するための手段として、いわば道具として扱う
ことを意味します。…
「私」は、他者に承認を求めることで、…
他者を道具として扱う/他者に道具として扱われる…
「私」が他者に承認を求めるとき、その他者もまた「私」に対して承認を求める
…
「相互承認」という承認-お互いの自由を承認する
「役に立つかどうかは関係なく、私はあなたとかかわっていたい」という
メッセージ(が大切)
…
「私」は自由であり、相手にどう見られるか、相手に承認されるかどうかを
気にすることなく、
自分の感じ方や考え方を尊重してよいのであって、
それでも「私」は他者とのかかわりのなかにいることができる」

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① 〈なぜSNSで承認されたいのか?〉
本当によく納得できた。
初めの承認の話でいわれていた若い世代のことは、(SNSに限らず)
現代のようなIT環境の中に育てば…と、孫を見るたびに気になっていた。
(子どものとき、テレビが国民の多くに普及したとき、よく「一億総白痴」といわれた。
が、その後、テレビ漬け生活で誰かが「白痴」になったという話は聞かない。
私もテレビの虜になったが大丈夫で安心した。
SNSをテレビにたとえるわけにはいかないと思うが、IT技術のお陰を多くの国民が享受できる
現代社会は、スマホやネットやAIは生きていく上での不可欠の、新たなインフラみたいになった。
《ITのほうがいずれはヒトの脳を上回り、超高性能なロボットになりヒト自体を滅ぼすかも…》)

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「「相互承認」という承認-お互いの自由を承認する
「役に立つかどうかは関係なく、私はあなたとかかわっていたい」という
メッセージ
「私」は自由であり、相手にどう見られるか、相手に承認されるかどうかを
気にすることなく、自分の感じ方や考え方を尊重してよいのであって、
それでも「私」は他者とのかかわりのなかにいることができる」
ブログを含めてSNSだけではなく、私と社会、他人(相手)との関係につい
本当に大事なことが述べられていた。
(ホームレスのいちむらみさこさんの言葉、「わたしたちがわたしたちのままで
受け入れられる場所」ということを今度も強く思った)

是がまあ 終の栖や 雪五尺 小林一茶