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2025.11.25 いのち(中)

 今日は続きの④~⑥です。

④〈苦しみはなくならない

⑤〈理不尽な苦しみ

⑥〈人がおだやかでいられるための「三つの柱」

 

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④〈苦しみはなくならない

医学や科学や、さまざまな文明がいくら発展しても、

人間の苦しみがなくなるということはまずないと思います。

どんなに便利な世の中になっても、

人間が生きていく上で苦しみから逃れることは、たぶんできないのです。

 

⑤〈理不尽な苦しみ

スピチュアルペイン」-存在と意味の消滅から生じる苦痛

つらいことや苦しいことというのは、何も病気とか怪我で苦しんでいる…

患者さんや家族だけが抱えているわけではない…

苦しみというのは誰もが持っているものですが、とくにこの中で厄介なのは理不尽な苦しみ

 

⑥〈人がおだやかでいられるための「三つの柱」

(人間は①「将来の夢」を持てる時間的存在であり、

「大切な人との関係」を持てる関係存在であり、

「自分の自由」を持てる 自律存在である。

そういう)あなたに支えがいなかったとしても、あなたは誰かの支えになれる

ネガティブな状況があったとしても、発想を逆転して、立ち位置を変えてみる

 

     


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苦しみはなくならない

 

 また仏教の話。

 仏(お釈迦さま)の教えの根底には「四」というのがあり、

この世は四つの「」から私たち人は逃れられないという。

 一つは「死」、一つは「老い」、一つは「病」、一つは「生」。

 

「生」というのは「生きることそのもの」だから、 生きていれば

誰でも何らかの苦しみがあり、起きる。

(「」は苦しいと感じる、受け取るから存在し、人によっては強がりでなく

「自分にはでない」「そんなのじゃない」という強い人もいる。

そういう人にがないか、あっても少ないのかもしれないが、ごくごく少ない人のこと。

凡人の私には考えられない

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どんなに便利な世の中になっても、

人間が生きていく上で苦しみから逃れることは、たぶんできない

 

 便利で快適な(生活していく上では)世の現代では、これ以上、何を望むものが

あるだろう?と、私は思うけれど、それはアンタが年寄りであり、自分自身の

過去と比べて満足しているだけのことだと若い人には言われそう…

 

(しかしロートルの私は思う。

人類は科学技術文明をどこまでも追究し、やめることはありそうになく、もっと「便利」

「快適」な世になるのかもしれないが、これはあくまで客観的な社会のこと。

いくら個人の私たちが「便利」快適」な生活だと初めのうちは感じていても、新しいものには

慣れ、それが「普通」「標準」となり、「便利」快適」は「幸福」みたいな「青い鳥」。

求めてもキリがない。

やっぱり大事なことは、自分が満足、納得すること。個人の主観、心。

「小欲知足」に行き着いてしまう。

 

どんなに便利な世の中になっても、人間が生きていく上で苦しみから逃れることは、

たぶんできない」とは個人に属する主観、心の問題。

「便利」「快適」を生み出す科学技術とは次元が異なる。

 

どんなに便利な世の中になっても、人間が生きていく上で苦しみから逃れることは、

たぶんできない」と、あえていわれなくとも、たぶん誰も感じ、わかっている)

 

     


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理不尽な苦しみ

 

④のように苦しみはなくならない〉けれど、その苦しみがどこから来ているか、

理由や原因に納得できれば(なくすことはできなくても)耐えられる。

 しかし、納得できなければ耐えがたい。

 納得できないもの、受けいれがたいものは「理不尽」「不条理」。

 

(ドラマによく、健気に生きている登場人物が不治の病に罹る、また事故や事件の遇うなどして

理不尽な苦しみに襲われる場面があり、「何で私がこんな辛い目に遭わなくてはならないの?」

と言う。

私は事故で障害者になり、胃ガンになったとき理不尽な苦しみを感じたことはなかった。

事故をに遭ったのは「自己責任」、胃ガンになったのはウンが悪かった」

《でも再発していないのはウンが良い」》と納得した

 

個人のことではそうでも、社会のことになると「納得する」わけにはいかないことが多々ある。

社会的不平等は理不尽不条理決して納得できない。

なぜ理不尽不条理」か?

理由はいろいろあるけれど、そういう論理のレベルの話ではなく、「おかしい」「まちがっている」

と心底感じる》)

 

     


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 〈人がおだやかでいられるための「三つの柱」

 

 自律存在」ということをとても強く、新繊に感じた。

自律存在」の内容は自分の自由」を持てることだと著者はいう。

 つまり、どんなに苛酷な状況、状態にあっても、抑圧されていても、「私の自由」

「自分の自由」な心、内面の世界だけは誰にも冒されないということ。

 自分のことは自分で決められることの大切さが説かれる。

 

(重い病気、つまり客観的な状況、状態は「」であっても、主観的には「」ではない、

」にしない、」をあやつれることが可能だという

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自律存在」とはそういうことだったのか!

 

(驚くことではないのかもしれないが、私自身はそういうことを考えたことがないので

すごく新鮮に感じた。

 

世間で「自立」が口うるさく言われるほどには「自律」は注目されないので、

私もこの本を読むまで日常生活でほとんど気にとめることなかった。

 

「たとえあなたの中のあっても、あなた 自律存在なのだから、

自分に誰かの支えがなかったとしても、あなたは誰かの支えになれる

よく、「愛されるより愛せよ」といわれるけれど、そういうことなんだろう)

 

 

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                         ちりとてちん

この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女




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