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2025.10.31 格差社会(前)

格差」という言葉が日本で聞かれようになったのはいつ頃からだろう?

 

(昔から「貧乏」「金持ち」という言葉はあったが、二つを比べてビックリするほどの差、違いは

見られなかったのか、あるいは多くの国民が貧しかったのでごく僅かの「金持ち」との差、違いは

あまり気にされることなく、社会的な問題にはならなかったのだろう。

《60、70年代の高度成長で国民の多くが「自分は中流」と思うようになってからは猶だ》

 

ところが、労働者を「人材」としてモノ扱いしたり《派遣》、非正規という労働が認められ横行する

ようになると、急速に国民の間に「格差」と呼ぶにふさわしい経済的生活の差が生まれ始め、

あっという間に差はますます拡大し、取り返せないほど開いて固定化し、いまでは貧困は

社会的問題となり、食うことさえままならない家庭が増え、「子ども食堂」が普通に見られる

ようになった。

国民の多くがスマホを持ち、玉石混交の情報に惑わされている現状では格差」は見えない)

 

 ある本に、「格差」は見ようとしなければ見えないとあった。

(同じ表現ではないにしろ、「格差」について述べられたどの本も同じことを言っている)

 

 多くの国民の「中流」から「下流」への流れは、財界の集まりの「経団連」や

「日経連」などの要望を受け(さっき書いた)「人材派遣」「非正規労働」の法制度を

らの政治的代弁者、自民党を通し、国民にわかるような説明もせず、たいした

審議も経ずに、多数決という「民主主義」で押しとおし、成立させた。

 つまり、国が法律・制度の制定を通し「格差社会」という現実をつくり上げた。

(いったん作り上げられたもは、後からそのオカシサに気付いてももはや遅い。

オカシイとわかっても人はオカシサに慣れてしまう。

慣れないとやっていけない、生きていけなくなる。

 

格差社会」に呑み込まれ、当たり前だと思わないために、オカシイという感じを続けるために、

私はネチネチこんなこと書いている。

オカミ、経済的強者の「尻馬に乗り」、つまりうまく便乗して一儲けするわけにも、

「長い物には巻かれろ」の教えのとおりに諦めるわけにもいかない)

 

 格差」は見ようとしなければ見えない

 

「格差」をネットの「AIによる概要」で調べてみた。

「格差」とは、同類のものの間で程度や水準が異なること

社会問題として使われる場合は、収入、学歴、地位、資産など様々な面で、

人々の間に大きな差が生じ、その差が固定化されてしまう状態を指します。

格差社会」は、この差が大きくなり上の階層への移動が困難になった社会を意味します

もっと前にウィキペディアで調べたこともある。

「経済的不平等」のなかの「資産格差」について

「2015年1月19日、国際支援団体オックスファムは、世界の人口の1%の富裕層がもつ資産の総額が、2016年までに残りの99%の人口の資産の総額と同程度になるという推計を発表した[18]。また、オックスファム世界の富裕層上位80人の資産総額は、貧困層35億人の資産総額に匹敵するとしている」)

 

       

 

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 しつこいけれど、格差」は見ようとしなければ見えない

 

(10月17日放送のNHKBSスペシャル番組『捨てられた紙と老人』を見た。

NHKオンデマンドによると 「世界に例のない速さで少子高齢化が進む韓国。

社会保障は追い付かず高齢者の貧困率は4割に及ぶ。

ソウル市内の資源回収所には、拾い集めた古紙を売りに老人たちが次々とやって来る。

90年代に起きた通貨危機のあおりで資産を失った人。子どもたちを大学に行かせる費用で蓄えが

無くなった人。病身の妻のために医療費を稼ごうとする人。時代に翻弄されながらも、

人生の終盤を懸命に生きる人々を通し、高齢化する韓国の今を見つめる

 

番組は韓国の首都ソウルで、リヤカーを引いて新聞雑誌・段ボール、アルミ缶などの資源ゴミを

自治体の回収車より先、朝早く4時ごろから集める3人の老人の姿、生活をドキュメントとして

紹介していた。

私もチリ紙交換をしたことがあるけどリヤカーではなく軽トラだった。

リヤカーは子どものころ、近所に住んでいた在日の朝鮮のオジサンが廃品回収で引いておられるのを

よく見た。山深い村のような故郷でも、集めるモノがあったのだろう。モノ不足の時代だから新聞

雑誌のはずはない。

自分が結婚したときは荷物が少なかったのでどこかで借り、引っ越しで使った》

 

東京のような大都市ソウルの超高層の高級マンション群を背景に、多くの車が行き交う中ひときわ

ゆっくり、老人が段ボールを載せたリアカーを引く風景が強く胸を打った

 

 勉強が得意な者がいれば苦手な者もいるように、個体「差」というか個体の

「違い」は生きものなら、存在することは自然の摂理だ。

(野生動物の世界では、次の世代に自分のいのちを継ぐために、一個体の雌を生殖相手に

多くの雄が争う。結局、強い《元気がよくて体が大きい》、ウンのいい雄が選ばれることに

落ち着く。選ばれなかった個体に自分を重ねてちょっと悔しくなるけれど、「人間は違うわい」と

強がってみる。けど格差社会」という現実を思うと、ヒトもやっぱり動物かと悲しくなる)

 

 しかし、ヒトは「人間」なのだ。

 個体(個人)にとっては生存していく上で不利な「差」「違い」はなるべく廃し、

みんな平等に仲よく生きて幸せな気持ちになる方が、全体(人類)長く続いていく

ためには有利であり、結局その方が「格差」の上の方の個体(個人)とっても

望ましく、自然だろう。

      

         


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 国政選挙で、候補者は誰も「安定した生活、暮らしやすい日本を目指します」

などと金太郎飴のようなことを叫ぶが、私はこの国の格差をなくします

(小さくします)」と言えば、当選するかもしれない。

(落選してもいいから誰かさん、叫んでほしい。

格差」解消、小さくすると約束しても信頼できる野党もあるのに…)

 

 

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                         ちりとてちん

死者薄く 目を開けてゐる 月見かな  眞鍋呉夫

 

 

 

 




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