今日は残りの⑤~⑦です。
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⑤
「子どもたちは大人たちが感じているよりもずっと深いところで自分の宿命を生きている」
⑥
「生きるとは、ひとつひとつ神さまにお返ししていくことだと思う」
⑦「多くを知るのも悪くない。
だが、何かを知るのは、よく生きるという目的のためだったはずである」

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⑤
(石垣りんという詩人の言葉)
「子どもたちは大人たちが感じているよりもずっと深いところで
自分の宿命を生きている」
ここで「宿命」といわれているものは、子どもは赤ちゃんとしてこの世に生まれ
出たとき、まるっきり、完全に、与えられたものを身につけるしかなく、
その「与えられたもの」「背負わされたもの」のことだと思う。
子どもを見るとき、私はその子の目を見る。
子どもは好奇心の塊みたいなものだから、よく目が合う。
合えば、見つめられているようでドキッとする。
子どもは健気だ。
疑うということを知らず、世のすべてを受け入れているかのよう。
(親の愛情をいっぱい受けて育つという「普通」が適わない子どもたちの施設で働いていたとき、
「普通」がわからない幼い子どもたちも、はた目には「普通」の子どもとしか映らなかった。
「普通」の顔して、「大人たちが感じているよりもずっと深いところで自分の宿命を生きてい」た
のだろうか…)
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⑥
「生きるとは、ひとつひとつ神さまにお返ししていくことだと思う」
(著者はキリスト教《カトリック》者で敬服する神父、井上洋治さんの言葉。
私の愛読する仏教者ひろさちやさんの本にも、違うのは「神さま」が「仏さま」に変わっている
だけで、意味内容としてはまったく同じことが書かれていた)
ひろさちやさんは、それぞれ人は仏さまから大事な命を預かっているという。
だから、命は自分のもの(所有)であっても、自分のもの(所有)ではないわけだ。
死ぬときが「寿命」であって、誰もが寿命を生きるといわれる。
この命。天、仏さまや神さまからの「与かりもの」ではあるけど、
「預かりもの」でも「借りもの」でもあるのだ。
ほんとうにそう思う。

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⑦「多くを知るのも悪くない。
だが、何かを知るのは、よく生きるという目的のためだったはずである」
(中世ドイツのキリスト教神学者で神秘家のマイスター・エックハルトの言葉)
この言葉を聞いたら、前記事の②「どう生きるべきかと悩む前に私たちは、
生きるとは何かを考えなくてはならない」を思い出した。
「生きるとは何か」
生きる目的は、「よく生きる」ことだと思う。
(それはいいのだけど、問題は)「よく生きる」ことの中身。
それはきっと多様なものに違いない。
(ブログしていていつも痛感する第一は「多様」ということ。
自分が読ませてもらっているのはごくごく少しだけど、みなさん、よく生きておられるんだなぁと
実感し、自分の「よく生きる」の糧とする)

まむかひの 窓の西日の すだれかな 久保田万太郎