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2025.9.5 『言語が消滅する前に…』(前)

『言語が消滅する前に-「人間らしさ」をいかにいかに取り戻すか?』 

 國分功一郎 千葉雅也 (対談)

 

 

 たいそうな書名ですが、新書だから一般読者に向けてわかりやすく

言葉から見た現代日本風潮、空気を伝えてくれます。

 社会と人間だけでなく、人生も考えさせる大切な問題が述べられ、

とてもおもしろかった。

 

強く印象に残ったことだけ2回に分けて紹介し、感想を書きます。今日は、

 「するか「されるではない行為  

 「孤独」と「寂しさ」の違い 

 「心の闇蒸発した社会

 

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①「するか「されるではない行為

(人間の行為は、するか「されるのどちらかと思われがちだけが、どちらともいえない行為

つまり「するか「されるではない行為」があると著者たちはいう。

するを「能動」態、されるを「受動」態というのならば、

するか「されるではない行為」は「中動」態。

著者たちは、そういう見方の大切さを説く)

 

能動する・受動されるは文法の問題という感じがしますけど、

そこには実は社会的な意味ある。…

(たとえば「薬物依存」)薬をやっているのかやらされているのか。…

二項対立では説明できない「やってしまっている」というような状態が、

中動態の具体的で現代的な問題として出てくる。

法律的発想で取りこぼされるもの

(著者たちは「グレーゾーンの大切さ」を説く)

世の中ではそういう次元グレーゾーンがすごく大事であって、何でもオープンに、

どっちが悪い、どっちがやったんだ、やられたんだという話になってしまうと、

多くのリアリティが取りこぼされてしまう…

僕らは常に法律的にものを考えるようになってしまっている

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②「孤独」と「寂しさ」の違い

(哲学者ハンナ・アレントの言葉)孤独」とは私が自分自身と一緒にいられること 

寂しさ」は私自身と一緒にいられず、他人を探しに行ってしまう

いまの世の中を見ると、孤独がなくなっている。孤独な経験がないから、

人はすぐに寂しさを感じてしまう

ーーー

心の闇蒸発した社会

本来だったら無意識に書き込まれるべきことがネットに書き込まれている。

(ネットの「匿名性」は否定的な面もあるけれど、著者たちは肯定的な面に目をつける)

何でもかんでも理性の光の下に晒そうとすると全員偽善者になるので恐怖政治が起こる

 

      


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 ふだんの自分の行為の一つ一つを、能動するされると区別、

文法的に捉えることなどしない。

 しかし、犯罪など法律に触れた行為をしたときは社会的な意味がある」行為

とされ、意志の存否(動機の存在)が問われる。

 

(薬物依存」は、本人としては「そのつもりはなかったのに…」という場合があり、

薬をやっているのかやらされているのか。…二項対立では説明できない

「やってしまっている」というような状態が、中動態の具体的で現代的な問題として出てくる」。

國分さんは「中動態」の提唱者で、能動でも受動でもない人のあり方を重視する》)

 

 人間の行為の実際の多くは、能動受動か?と、決めつけられるものではない。

そういう二項対立では説明できない」ことが多くある。

ーーー

 〈法律的発想〉とは、能動受動かと決めつけ、中動態グレーゾーンの存在を

認めないこと。

 

世の中には「二項対立では説明できない現実、グレーゾーンがある。

そのグレーゾーンがすごく大事であって、何でもオープンに、どっちが悪い、

どっちがやったんだ、やられたんだという話になってしまうと、

多くのリアリティが取りこぼされてしまう

そのグレーゾーンには、まだ法律に載っていない、まだ法律では規制されていないものがあり、

法律的発想では、たとえ心に引っかかり倫理的にどうかと思われる行為でも、やっても問題ない

とされる。だって「法律にはやってはいけないと書いてないだろ!」と

 

      


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 人はひとりでは生きてゆけないから、「繋がる」ことは社会的な生きもの、

ヒトの本性だから根本的に大切だ。

 だから、通信技術が飛躍的に進んだ現代では、寂しさを感じてしま」ったとき

スマホSNSいつでもどこでも簡単に「繋がれる」から繋がる。

 

 現代の「孤独な経験がない…人はすぐに寂しさを感じてしま」い、

「繋がれる」から安易に繋がろうとする。

指先の操作だけで繋がれる。こんな「魔法」を使わない手があるだろうか。

女の子が寂しいとSNSで知り合った見ず知らずの男性に被害を受ける事件をよく聞く。

甘い声をかけてくる男の魂胆くらい想像できないのかと思うけれど、彼女たちの心の中の寂しさは

想像できないくらい深いのだろうか。そのことが気になって考えた。

現代と昔、生きている時代が違うことの重さのようなものに思いが至った。

これは「歴史的な見方」の一種なんだろうか。

そんな「歴史的な見方」に立つと、私の若い時代は孤独になる体験、経験をすることが多かった

ことを思った。

現代の若者は寂しくなればすぐに誰かと繋がれ、寂しさ埋められる。

現代の日本社会は孤独を経験しにくい生活環境なのだ

 

      


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〈「心の闇」が「蒸発」した社会とは、

「こんなこと言えば人に笑われるのではないだろうか…ヘンと思われはしないか…」

などと気になり、外に向かって発言(信)できなかったことが、

発言(信)するのにそれほど気にかけなくなったできる。

(ネット社会では他人心の闇書き込まれている」。

そこは「匿名性」が可能なバーチャルな場所、世界なのでリアルな現実では躊躇うようなことでも

本音を表わすことができる。つまり、どんな心の闇でも表現できる。

さまざまな人が集まって構成されるのが「社会」というものだから、

必ず誰かは社会にストレスを持ってしまうのが自然だ。

著者たちが述べるように私も「何でもかんでも理性の光の下に晒そうとしてはならないと思った。

心の闇」が「蒸発」した社会であってはならないと思う。

 

人は他人、社会を「気にする」「気にかける」ことは大切だけど、他人、社会には言えない

自分だけの秘密、わが胸、心にだけそっととどめておかなければならないものが誰にでもある

 

を抱えることはホントは辛い。

よくないことかもしれないけれど、

人生にちょっぴりの「心の闇」は必要だ。

 

 

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                          ちりとてちん

さびしくて 鏡の中の 鬼に逢う  大西泰

 




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