「この奇跡の命を普通に生きる」
6月15日放送のNHK番組『人体Ⅲ-第4集』の最後のタモリの言葉です。
「タモリ(さん)、いいこと言うなぁ」と感動した。
(番組はネットによれば
「タモリ×山中伸弥「人体」シリーズの最終回。…生命の神秘に迫り、
私たちの健康を支える医学の進歩にもつながる最先端の研究現場をドキュメント。
そして8年にわたる「人体」の番組を通して、命と向き合ってきたタモリさん・山中さんが、
シリーズの最後に語り合う“私たちの命の意味”とは?」)

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「この奇跡の命」+「普通に」という組み合わせが、実にすばらしいと思った。
「この奇跡の命」というのは、人体、ヒトの体の命を番組は言っているけれど、
視聴者にとっては、まさに他ならぬ自分の命。
「命」とは命ある者にとってはみんな「奇跡」だけど、この自分にとっては
「この奇跡の命」なのだ。
その「奇跡」的存在の自分を「普通に」生きる。
(「奇跡」という滅多にないもの《自分》を「普通に」取り扱う。生きる)

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別に科学的な「最先端の研究現場」を知らなくても、誰でも生きておれば
「生命の神秘」をすごく感じることがある。
「生命」は、人間だけに限らない。
(ヒトの生命は他の生きものよりちょっとばかり複雑な構造をしているらしい。
先日、旅に出かけ、宿で湯に浸かっているとき蜉蝣《カゲロウ》が風呂の囲いの透明な
アクリル窓に留まっていた。一見したところ生きているかのようだったが死んでいた。
蜉蝣でなくてよかったとは思わなかったが、蜉蝣であったかもしれないとは思った。
「生命の神秘」ということではヒトもカゲロウも変わらない。
でも、自分はヒトに生まれ、人間として生きている。
カゲロウの儚い命はプログラムされた生態として宿命、天命みたいに決まっている。
カゲロウの命を「儚い」というのはヒト、人間の勝手な見方だろう。
宇宙や神さまから見たらほとんどいっしょの命。
《カゲロウの身にすれば、自分の命のことでヒト、人間からとやかく言われたくないに違いない》
ヒト、人間として生まれたからには、ヒト、人間としての「生き方」があると思い、
迷い悩みながらも「普通に」《一生懸命だったとは少しも思わない》生きてきた。
「こうすれば(しておけば)よかった」と後悔したこともあるけど、いまは「これでいいのダ!」
「これでヨカッタのダ!」と感じられ、有り難い気持ちになることが訪れるようになった。
もちろん、歳を取り、ここまで生きてこられたから思うこと。

身を起こそうとするとき、着替えのために床に立とうとするとフラフラし、
何度かベッドに尻もちをつく。
視界は揺れ動き、なかなか止まらず、焦点が合わない。
ああイヤだイヤだという気分のとき、「この奇跡の命を普通に生きる」を思おう)

さつきから 夕立(ゆだち)の端に いるらしい 飯島晴子