残りの④から⑥までです。
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「④〈人生をまたぐ介護 遥 洋子〉
介護を前に、要介護者の人生があり、介護の後に、介護者の人生が繋がる。
よき介護とは、その前に”よき人生”が必須だ。
よき人生が不完全な介護をも許す。介護は幾人もの人生をまたぐ。
「ここからここまでが介護」と分離しては存在せず、介護はその後、生きていく者のの支えにもなり
抜けない棘にもなる」
「⑤〈真のプロの育成こそが認知症ケアには必要 関口祐加〉
認知症になっても十人十色。
でも…介護される存在となった途端に、世話する側の目線・主観で、「難しい」とか、
その人をジャッジしてしまう。…主役は誰なのか?
…
介護においても家族は、〈終わりなき介護〉と考え絶望するよりも、〈終わりからの介護〉と考え、
死をすっかりと見据え、準備をすることが必要」
「⑥〈思い出すことなど、介助のその手前で 杉田俊介〉
(杉田俊介さんは介護ということでも高齢者ではなく、医療的ケアも必要とする重い障害を負った
子どもに関わった。そのとき強く感じたことを述べておられる)
具体的なケアの経験の中では、社会的な価値・コスト・幸福感などの規準が
よくわからなくなっていく…
誰かの人生をかわいそうだと感じるその私自身も、じつは、大して変わらない
のではないのではないのか。
たとえば寿命が一万年の知的宇宙生命体からみれば、…」
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④
介護される側の高齢者にしてみれば、まさに「人生の終わり」ごろ。
する側の年齢はいろいろだけど、その人にとっても、まさにそのときどきの
「人生」。
遥さんは介護に(される・するという立場を超え)関わる人の人生、
生きることの原点に立った視点で見ようとする。
「介護」を「人生」から見る。
(こんな人生の根本に立った見方に初めて出会った)
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「介護を前に、要介護者の人生があり、介護の後に、介護者の人生が繋がる」
「よき介護とは、その前に”よき人生”が必須だ
「よき人生が不完全な介護をも許す。介護は幾人もの人生をまたぐ」
「よき」とは、「納得する」「納得がいく」くらいの意味だろう。
人生は人によりそれぞれ(多様)だから、(介護しようとされようと)
自分の人生を肯定できればヨシ! ということなのだろう。
「介護は幾人もの人生をまたぐ」。
ある人の介護は関係を持った複数の人たちの人生に否応なく影響を及ぼす。
人生観、価値観は人それぞれ(多様)だから、肯定、納得できなければモヤモヤし
「抜けない棘にもなる」ことも覚悟しておかなければならない。
(介護は人間関係。
だから、自分の思い、願いどおりにはコトは進まないことが多いことは避けられないのだな)
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⑤
「十人十色」というのは認知症になろうとなるまいと人の基本、本態だ。
「でも…介護される存在となった途端に、世話する側の目線・主観で、
「難しい」とか、その人をジャッジしてしまう」という現実。
本当に難しい、大変なことだと思うけれど、「主役は誰なのか?」と問い続け、
人は「十人十色」、個性に合わせた介護が求められるのだろう。
(「子ども叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ」)
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「家族は、〈終わりなき介護〉と考え絶望するよりも、
〈終わりからの介護〉と考え、死をすっかりと見据え、準備をすることが必要」も
とても考えさせられた。
される側の高齢者には残された時間は短い。死はすぐそこに控えている。
する側は、することの大変さ、労苦に絡め取られ、される側の大事なそれが
見えなくなりがちだ。

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⑥
「具体的なケアの経験の中では、社会的な価値・コスト・幸福感などの規準が
よくわからなくなっていく」という感覚がよく伝わり、深くうなずいた。
「寿命が一万年の知的宇宙生命体からみれば」、重い障害を抱えながら、
重い病気などに苦しみながら、貧しい生活に喘ぎながらも必死に生きている人の
「人生をかわいそうだと感じるその私自身も、じつは、大して変わらない…」
このことも、共感されてしかたなかった。
(「費用対効果」ということがよくいわれる。かけた費用に対して効果がどれだけあるのかと、
「客観的」「科学的」と称して数値的に比較する。
人生をそんなふうに扱われたらたまらなくイヤだ)

投げ出した 足の先也 雲の峰 小林一茶