自分にはどんな形で訪れるか(訪れないか)はわからないが、
「介護」を自分ごととして考えイメージしておきたいと、ときどき思う。
これまでも介護関係の本をいくつか読んできた。
それぞれみんな教えてもらうことがあって、とてもよかった。
だが悲しいかな、読んでいるときは「そうだ!」と感激しても、後になると
コロッと忘れている。
(「忘れる」からまた読もう、知ろうと思う。
ということは、同じようなことでも何度も頭にたたき込むのでよいのかもしれない)
本は著名な人が介護について思うこと、経験から学んだことを述べたもの。
(強く刺激された六つを紹介します。
今日は①~③。 次回に残り④~⑥)
『私にとっての介護-生きることの一部として』 岩波書店編集部編

(グーグル画像より)
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「①〈感情の臨界点 渡邉 琢〉
(渡邉琢さんはまだ若い方で、自らの子育て《介護も同じだと渡邉さんは考える》をふり返り、
「感情が激し」「これまで知らなかった自分」が見え、そういう自分「にどう付き合うか」が
大切な問題だという)
子育て、介護などの苦悩に直面して(起きる)イライラや不気味なものは言葉にされがたい」
「②〈家族急滅社会(ファミレス社会)を目前に 樋口恵子〉
(介護に)社会の性格、品格が示される。
介護をする人が幸せでなかったら、介護される人も幸せになれません。
介護は、昔から家族がやってきた営みではなく、平和と豊かさの結実としての長寿化によって生じた
新たな国民的課題
この間の介護への対応策が十分でなかったから、現在の極端な少子化状況が到来…
「親の介護は社会がどんと引き受ける」と公約しなかったことの結果」
「③〈高齢者支援が障害者運動から学んでほしいこと 熊谷晋一郎〉
依存先を増やすことで自立する
現行制度は高齢者主体ではなく、介護する側主体」

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①
「感情が激して」「これまで知らなかった自分」が見えることにすごくうなずいた。
(人はいろいろ、人生はさまざまだから、そうでない方もおられるだろうけど、
子育てのときではないけれど、私にも「感情が激して」「これまで知らなかった自分」が見えてきた
経験がある。
《そのときは墓場まで持って行きたいほど恥ずかしい、下劣な行為におよんだことがあり、
読者のみなさんとはリアルでお会いすることないので、「懺悔」のつもりでその行為を具体的に
ここで「告白」しようと思ったけど、つまらないと思いやめた》
テレビの刑事ドラマで《ドラマだからドラマチックに物語が展開されることがわかっていても》
他人を平気どころか笑いながら、殺す寸前まで殴ったり蹴ったり、いたぶる場面が出てくると、
そんな加害者に「感情が激し」、こんな人間、死ねばいい、この世にいない方がいいと
「これまで知らなかった自分」が見えてくる。
ドラマでは被害者《またはその親、恋人など》が復讐。加害者を殺す。
どんなドラマでも、「加害者も人間。人の命ほど尊いものはありません」と主人公刑事の言葉で
終わる。
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釈然としない。こんな平然とした論理を「ハイ、そうですか」で受け入れられるか!
被害者たちが悲しみ、苦しみのどん底で生きていかなければならないことを想像すると
一視聴者に過ぎない私にもは被害者たちの「激し」た「感情が」伝わり、一緒になって加害者を
殺す気持ちになってくる)
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②
「介護への対応策が十分でなかったから、現在の極端な少子化状況が到来 」
「介護」と「少子化」が結びつけて語られる。
日本の介護政策を見る視点としてとても新鮮に感じられた。
「少子化」という社会現象、問題(国力の衰退につながるということで国が勝手に
憂いているだけで、別の見方からすれば「国力とは何ぞや?」といえ、問題」ではないと
考える)を止めることは、「介護」の向上にもつながる。
とするならば、「親の介護は社会がどんと引き受ける」
(だから安心して子どもを生んでください)と公約しなかったことの結果」には
深くうなずいた。
(いまのような高齢社会は必ず到来するとわかっていたはずで、年寄りが増えれば当然、
介護が必要となることもわかっていたはずだ。
だからそれまでなかった「介護保険制度」が2000年に創設された。
人は「ヒト」という生物なので、その生に子どもがいるのは自然な状態であり、
子どもを生み育てる、つまり「再生産」はほとんどの生き物の自然な姿だ。
しかし、現代の日本では多くの人たちが自分が食っていく、生存を続けていくのが精いっぱいで、
「背に腹は代えられず」、生殖を諦めるヒトが続出している。
「少子化」は個人が安心して産んで、安心して育てられる社会ではないことの証拠。
「ニワトリと卵」の話のように、どっちが先か後かわからないけれど、「価値観の多様化」現象で、
「少子化」どころか、そもそも結婚して家庭をもつこと自体が自明なものではなくなった)

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③
「依存先を増やす」
これまで読んできた本で熊谷さん以外の方も書いておられ、
介護に限らず、人生でとても大事なこと。
(そもそも人が「生きている」という現実は、ある意味で「依存」によって成り立っている)
安心して「依存」できるところ、選択できるところを多くする。
(「依存」というとクスリ《覚醒剤》に結びつきやすいので言葉のイメージがよくないけれど、
人生を考えるとき欠かせない、大事なキーワード)
「現行制度は高齢者主体ではなく、介護する側主体」
ご自身が障害者でもある熊谷さんの言葉に重いものを感じた。
障害者は「障害者問題」として1960年代後半ごろから障害者運動を通して、
マイノリティではあるけれど同じ人間として社会で生きていくために、さまざまな障害者差別と闘い
権利を獲得してきた歴史がある。
ところが介護の問題は、マイノリティ/マジョリティの区別を問わないみんなの、時間的な後先は
あってもすべての人に関わる「問題」。
だから、障害者問題と異なるところが多くあるのではないだろうか。
最近、気になる話を知った。
知って少し冷や汗をかいた。
社会の安定維持に《「重荷」となる》老人が増えることはよくない《もちろんそういう社会に
とっては》ので、生産性のない老人は一定の年齢になれば死んでもらうという、現代の「姥捨て」
のような話)

炎天より 僧ひとり乗り 岐阜羽島 森 澄雄