先に読んだ『ええかげん論』という本がおもしろかったので、
その著者のお一人、中島岳志さんの
『自分ごとの政治学-「わたし」から世界を見つめる』

(グーグル画像より)
という本を読んだ。
ただの平板な「政治の入門書」ではなく、
書名にあるように「自分ごと」として政治を捉える、考える、
とてもわかりやすい本だった。
(私が有名人だったらこの本を推薦し、次のような帯をかけようと思ったほど、よかった!
「社会の中で生きるしかない私たちが、どういう社会を作っていくか、つまり政治を行う上で、
いちばん大事なことは何かが書いてある日本人必読の書」)
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「〈政治学とは?〉
簡単には分かり合えない多様な他者とともに、何とか社会を続けていく方法の模索」
「〈政治学の基本概念〉
大切なのは「永遠の微調整」
(これはエドマンド・バークという人の政治理念、信条であり、著者が最も共感する。
エドマンド・バークはウィキペディアによれば「アイルランド王国生まれのイギリスの
政治思想家。「保守思想の父」として知られる。
フランス革命の源泉となったルソー主義を激しく非難し、
1765年から1794年までイギリス庶民院議員を務めた」
著者によれば、彼は 「保守するための改革」を説く)
人間はそもそも完成された社会を作ることができないと考える。
だから、原理主義のように過去の一点に回帰すれば素晴らしい理想社会という考え方は取らない。
(かといって、「進歩はすばらしい」という進歩主義もとらない。「漸進的な変化が大切」)」
「〈死者と日常の政治学〉
忘れ去られてきた「立憲主義」
(著者は「「民主(主義)」と「立憲」との対立関係」を深く考える。
統治行為(政治)において、普通は「民主は立憲の上位概念」といわれ、民主主義=「多数決」
「多数決=正しい(正義)」がまかり通っているかのような現代。→数の横暴
政治の主体・「主語」は国民だが、ここでの主体・「主語」はいま生きている国民・「生者」のこと。
そのいまの社会、国を作り上げた《礎となった》のはすでに死んだ国民・「死者」だったはず。
それがすっかり忘れられている。つまり完全に「歴史性」が失われている)
「立憲」は「死者」が主語 「民主」は「生者」が主語…
〈死者に制約された民主主義〉
死者の存在を無視して、生きている人間だけで物事を決定しようとする。
それは、生者の奢りに過ぎません。
民主主義は常に、死者によって制約された民主主義、立憲主義でなければならないのです」

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この本は、(初めの写真映像にあるよう)表紙にかけられている本物の帯の言葉どおり
いまの時代の政治を考えるに当たっての入門的な基本、ほんとうに大切なことが、
たった二つだけに絞って述べられていた。
一つは、「永遠の微調整」。
「人間は不完全」だということ。
常にこれでいいのだろうか?と問い、一歩ずつ、スピード感がなくても、
着実に前進することの大切さをすごく感じた。
(子どものような感想だけど、社会をより良いものにすることも、自分個人の人間的な成長も、
共に大切なことだと思った)

もう一つは「立憲主義」
(「立憲民主党」ができたとき、党名にそれほど感じなかったけれど、
いま改めて「立憲」が重く心に来た。
2013年成立の特定機密保護法、2015年の安保法制が国会で審議されているとき、憲法学者が
「立憲主義」を説いて二つの法案とも憲法に違反しているとのべていたことが忘れられない)
「民主主義は常に、死者によって制約された民主主義、立憲主義で
なければならない」

そら豆の まことに青き 味したり 細見綾子