『生命倫理とは何か』 市野川容孝・編

(グーグル画像より)
強く印象に残ったこと四つだけ書きます。
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①「〈人体実験〉
・動物実験は人体実験への誘い水と考えられた…
(「動物実験はしょせんは一種の「必要悪」」
そして「19世紀終盤から20世紀前半にかけての多くの人体実験」の「被験者は実に周到に
社会的弱者をターゲットにし」「1972年にマスコミに暴露されるまで続いた」)
・七三一部隊の所業を、われわれ日本人としてけっして忘れてはならない。
それが無残な死を迎えた3000人以上の捕虜たちへの、せめてもの供養である。
…
・すべての医療は、多少なりとも実験なのである。…
(けれど絶対に)医学の進歩や社会全体の利益が、(人体実験の)被験者のそれよりも重視される
ことがあってはならない…
科学が、かならずしも人間の幸福には結びつかないままに邁進することをやめないという様子が、
どこか人間の業のように思われるとするなら、医学もまた、その業を抱え込んでいるのだ」
②「〈インフォームド・コンセント〉
(インフォームドコンセント→)「説明」よりも「承諾」が根幹…
その説明を有効で有意義なものにするために適切な説明が十分になされることが必要…
「承諾」は自己決定の一つの表現…
人体は人格そのもの」
③「〈QOL〉
「QOL」は典型的なマジック・ワードの一つ、…
「幸福」とは何かという問いと同じくらい漠然…
当該個人が生活する社会的・文化的背景によって、その内実が大きく左右される」
④「〈ターミナル・ケア〉
・ターミナル・ケアの主題化
終末期がひき延ばされるようになると、延命治療が患者にとって「良い」ことか不確実になり、
延命よりも良い生を全うする方が患者のためではないかと。…
さらに、病院死の増大は、家族を中心とした死を看取る共同性の解体と並行して進み、病院において
意味もなく延命されて苦しみのなかで死をむかえることへの批判を醸成することになった。
…
・「良き死」という観念
ターミナル・ケアの根底には「良き死」という観念がある…
「良き死」という観念は、「死にゆく過程」をはじめて発見…
「死にゆく過程」→ ①死の認識 ②死の受容 ③全人的痛みの緩和
…
・ターミナル・ケアは、霊的ケアに重心をおけばホスピスへ、
身体的苦痛緩和に重心をおけば緩和ケアへ。
…
・死の医療化の拡張
目下のところターミナル・ケアは、死にゆく過程についての専門知識にもとづく、
生のコントロールという面が強い。
だが良き死の観念が規範化されていることへの批判もおきつつあり、
死にゆく人の固有性や自律性を尊重し、その人らしい様々な最期のむかえ方を援助する
(ことへとに変わりつつある)」

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私には特に、「人間の業」と「良き死」が気になった。
「人間の業」ということは、たびたび思い、考える。
(私も人間。「業」が自分の深いところに本能のように潜んでいることを感じる。
《他人には恥ずかしくて言えないどす黒いものを感じることがある。
墓場まで持って行こうとしていることが少なくない》
記事で「真の幸福…」「現代は科学技術の行き過ぎ《本来の目的からの逸脱》…」などとエラそうな
ことを書いても、現実は《最新とはいかなくても》現代文明の便利・快適の恩恵に与り、
かってはいろいろな物事への欲望も強く、ギラギラしていたはずなのはまぎれもない事実。
そうなのに、老いを重ねるごとに不思議なほど、「自分はもうこれでいい、十分満足している。
発展や成長はもういい」と、心底思うように変わった。
テレビなどで戦争や貧困の悲惨な世界の存在を知る《思えば、テレビやネットなどの情報技術の
発展あってこそ、私のような庶民でも知ることができるのだ》。
知れば、これだけ富があるのに偏っている現実、不平等、貧困、理不尽の解決こそいちばん大切
だと思う。これだけは老いても変わらない。
科学技術者の「わからないことをわかりたい」「できないことをできるようにしたい」との情熱が
それまでの科学技術を押し上げ、現代文明を築き上げているという事実。
《私は死んでいたかもしれない事故に遭ったが、現代医学のお蔭で助けられ長生きできている》
それは確かだが、スマホやネットやSNSが「かならずしも人間の幸福には結びつ」いているとは
思われない。
それらスマホやネットやSNSも、科学技術は使う側、享受のし方、利用のし方だとよく言われるが
現状は「個人」任せ、「個人」次第の問題に終わっている。
「自己責任」を問う、自業自得の警告は大切だけど、社会《人々》を対象に、みんなが少しでも
科学技術による「人間の幸福」を感じられるよう、その利用のし方を考えなければならないのでは
ないだろうか。
《人間も本能のある動物。欲望を満たしてくれるなら何でもする。
科学技術の享受、利用の側の一般の人々の問題だけではなく、何よりも大切なことは、
科学技術にたずさわる人たちの探索欲、調査欲、研究欲は何かの歯止めがないと暴走する。
その底知れないエネルギーを「人間の業」というのだろう。
「原爆開発」はその象徴》
話がとぶけれど、いまや現代の日本では、行政など公共機関までもがネット環境の存在と、
それを自由に操れることを「標準」「普通」みたいにしている。
「当たり前」「前提」としてしている。
こういう事態を「かならずしも人間の幸福には結びつかない」典型という)

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「良き死」。
ここでは ターミナルケアとの関連でいわれているけれど、
「死にゆく人の固有性や自律性を尊重」ということが大事だという。
まったくそうだと思った。
(「孤独死」と騒がれる。
テレビなどでは悲惨じみた扱いがされることが多いけれど、「孤独」《であって「孤立」ではない》
を望んだことにせよ望まなかったにせよ、ともかく事実としての「ひとり暮らし」を自分で選んで
納得しているならば立派な「良き死」《だと私は思う》。
周囲はその「人の固有性や自律性を尊重」しなければならない《と思う》)

水馬(アメンボウ) 水をひっぱって 歩くかな 上田五千石