『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』 東畑開人・著

(グーグル画像より)
という本を読んだ。
またまた臨床心理士の東畑開人さんの書いたもの。
(「なんでも見つかる夜に」と聞いただけで読んでみたくとなった。
心って、他人のはもちろん、自分のだってわからない。
コロコロ変わるこころ《「こころ」の初めの「こ」の後に「ろ」を入れれば「ころころ」》
中学を出てから全寮制の学校にいたとき、友人との付き合いにずいぶん気を遣い、疲れた。
疲れたあげく、学校を辞めた)
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前に読んだ本での「いる」と「する」。
「いる」と「する」は、次に読んだ著者の本にも出てきたし、
東畑さんの人間観、人生観のキーワードだ。
この本では 「いる」と「する」が、「愛する」と「働く」に変わっていた。
(今日はそのこと、次回は「幸福」と、二つのことだけ書きます)
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「人生は(突きつめていえば)「働くこと」と「愛すること」 (→「する」と「いる」)
〈(上の二つのことを)混ぜるな、危険〉
彼女(著者のクリニックのクライエント)の不眠はその象徴(二つを混ぜた結果)です。
眠りとは「する」の放棄です。(→ 後に著者はいう。「他者は安全である。この感覚が心にあるとき
僕らは安心して眠ることができます」。つまり、眠りは「愛」に包まれていてこそ可能で、
「働」の中では不可能)
「働くこと」と「愛すること」は、混ぜるな、危険。…
「働くこと」のやり方を「愛すること」に持ち込むと、「愛すること」は台無しになってしまう。…
特に現代では、僕らはついつい「働くこと」のやり方を「愛すること」に持ち込んでしまう。
「愛すること」が「働くこと」に飲み込まれてしまうのです。
…
〈卵の根源性〉
(「卵が先か鶏が先か」というけれど、著者はいう)「働くこと」と「愛すること」であれば、
「愛すること」の方が根源的…
「愛すること」を失った「働くこと」は、他者への恐れを強めていく。…
(ここで著者は昔の日本の「終身雇用」は「不自由なこともあったけれど」「大船が個人の人生を
守ってくれていたのも事実」「不自由さと引き換えに安心=「いる」を得ていました」という。
ところが現代は)「働くこと」から「いる」が失われた。…
だからでしょう、ここ数年トレンドになっていたのは、起業・副業・転職でした。
(さらに著者は述べる。「現代は「「働くこと」の意味が変化した」)お金と結びつかないことは
無価値なものに見えてくる」

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私は老人だから過去が長い。
(「長い」ということだけでは十分条件にはなっていないが)過去が短い若い人より、
「人生は(突きつめていえば)「働くこと」と「愛すること」 (→「する」と「いる」)」
ということを強く実感できる。
「いる」ということは(=)「存在」であり、それ自体が意味がある。
(私はいまこうしてブログを「する」、している。けれど、同時にブログしている自分を根本で
支えている「いる」自分を感じている。
「働くこと」からはとうの昔に辞め、いまは「愛すること」に精魂かたむける《というよりか、
それしかない。もちろんここで「愛すること」というのは、特定の誰かを「愛する」という狭いもの
ではなく、「いる」の別な言い方)

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「混ぜるな、危険。…
「働くこと」のやり方を「愛すること」に持ち込むと、「愛すること」は台無し」
すごく胸に響いた。

雨蛙 退屈で死ぬことはない 金子兜太