社会の「常識」といわれていること。一度は疑ってみなければならないと思う。
「モラル」もその一つ。
『モラルの起源-実験社会学からの問い』 亀田達也・著
という本を読んだ。

(グーグル画像より)
初めに著者はいう。
人間の「全体としての行動は「生き残りのためのシステム」として理解でき」
それは、「自然淘汰と適応」だと。
(モラルも適応のためのためか)
モラルは「歴史・文化という時間軸」においてあまりにも短いので、
「遺伝子に書き込まれていない適応」だともいう。
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本は、「モラル」といわれるものをその起源に立ち返って考えてみたら、
人間についてどういうことが言えるか?を述べたものです。
(触れたいことはたくさんあるのですが、「「正義」と「モラル」と私たち」という項目にあった
「功利主義という考え方」にとても強く惹きつけられたのでこのことだけ書きます。
「功利主義」は「最大多数の最大幸福」といわれ、少数を切り捨てるという割り切った、
少々冷たいイメージがするけれど、社会に理想が実現することない限り
《もちろん、理想は追求しなければならない》現実を凝視すれば致し方ない、
「必要悪」みたいなものだと、この本を読んで思った。
厳しい現実をそのままリアルに見つめようとしない私は卑怯なお気楽者。自己満足的な観念主義者。
だから、これまで無意識のうちに現実的な「功利主義」的な見方、考え方を避けてきた気がする)

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「(パスカル)「河ひとつが境界をつくる正義とはなんと滑稽か。…
こちら側の真理は、あちら側では誤り」」
「〈いかに分けるか-分配の正義〉
平等な分配は普遍的?…
分配の規範は文化によって異なる
市場での取引とは無縁の伝統的な社会では、血縁や特定の相手を重視する行動が…「正しい」
(「身内びいき」は正義だとされる。
身内のような「血縁や特定の相手を重視する行動」は「自動モードで調整される正義」として
次に述べられる)
…
「〈自動モードで調整される正義〉
それぞれの集団内での「私VS.私たち」をめぐる対立(自分という「私個人」を第一とするか、「集団」
「社会」を第一とするか)は、(「私個人」と私につながる身内など「集団」「社会」を優先する)
自然な感情を基盤とする、自動モードにより解かれている…。
自動モードとは、あれこれと考えなくても立ち上がってくる(勝手に動いてしまう)生理・心理・
行動のプロセス(→「「人情家」的なマインド」といわれる)…
したがって正義は「同じ「部族」に属する限り、個人を超える」
(つまり、同じ部族、身内《といってもこれは相対的な言い方だから、外国人に対してなら
「日本人」が同じ部族、身内ということ》であれば、自分という個人をかえりみることなく
正義を実行できるということ。
あの戦争での「特攻」というのは、まさしく大日本帝国にとっては「正義の実行」だった。
《9.11のテロも同じ》
しかし表面的にはそうであっても、「特効」の若者たちの心の深いところには、自分たちが犠牲になる
命を落とすことにより、未来の日本を平和な世の中、社会に作り直すという堅くて深い意志、願いが
あったと信じる)
「(「自然な感情を基盤とする、自動モードに」よらず)手動モード…
手動モードとは、直感的ではない、理性的計算による問題の解決法…
感情に基づく「自動モード」に依る限り「部族」対立を超えられない…
一見すると「冷たい」功利主義の考え方こそ、頭を使った「手動モード」…
誰もが「部族」の壁を超えて理解できる「共通の基盤」(メタモラル)になり得る…
功利主義(は「最大多数の最大幸福」であるけれど)には固有名詞がない点…自分が「最大多数」に
入ることを全く前提としていません。…
(ということは)功利主義の計算は「無」人情で、「自然に反する」(といえるのかもしれない)…
しかし、現実社会での深刻な価値葛藤を前に、殺し合いにも、覇権的な正義の横暴にも、
メタモラルとしての功利主義の構想を含む「実用を重視した深い泥沼」にあえて踏み込む覚悟が
必要ではないでしょうか」

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救急を描いたドラマの医療ものによく「トリアージ」が出てくる。
(「トリアージ」とは、ネットには災害時など多数の傷病者が発生した場合に、その緊急度や
重症度に応じて、医療資源を限られた中で、可能な限り多くの命を救うために、
治療や搬送の優先順位を決めることとあります)
「トリアージ」の考え方の背景には「功利主義」があると著者はいう。
(「功利主義」は本当に現実重視の思考なのだと気づかされた。
「理想」は理想であって大切だけどそれはそれ、現実は現実。
妥協しなければならないときがあるということ)
「現実社会での深刻な価値葛藤を前に、殺し合いにも、覇権的な正義の横暴にも
メタモラルとしての功利主義の構想を含む「実用を重視した深い泥沼」に
あえて踏み込む覚悟が必要」
との一文が、強く強く胸に響いた。

城を出て 町の燕と なりにけり 上田五千石