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2025.4.11 「魂の仕事」ほか

 今日は若松英輔さんです。

 テーマは「光は、ときに悲しみを伴う」

(「光」はすべての命の元。

明るく、希望の輝きだけども、「ときに悲しみを伴う」という。

何となくわかる気がする)

 

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社会的な仕事と魂の仕事

社会的な仕事魂の仕事とは、「生活の仕事」人生の仕事

事実、私たちは、「社会的な仕事」に忙殺されて、たましいの仕事の意味と重みを忘れてしまう

たましい」が深く響き合う時、人は涙を流す

恩寵の訪れ

恩寵はしばしば、それだとわからない姿で私たちに寄り添うのではないでしょうか。

それは時に苦しみや悲しみという姿を取ることもある。

伝える」とはどういうことか

フランクルの「人生に何かを期待するのではなくて、人生が私たちに何を期待するかが問題なのだ

ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない

伝えるというのは、せき止めてはならないという感じです。

私たちは与えられたものを所有できると思いがちですが、本当に大事なものというのは所有できない

のではないでしょうか。通り過ぎていく(という感じ)

自分のたましいを震え上がらせるような言葉もせき止めてはならない。

その言葉は私とは違ったかたちでほかの人の「たましい」を震わさせることがあるからです。

次の人に渡す。それが、生きるということの大切な仕事なのではないかと思います。

人生を大きく揺るがす出会い

「自分の存在は無意味だ」と言ってはならない…「無意味」ではなく「不思議」

人間が人間を幸せにするというのは、(「挨拶ように)本当に些細こと

あることが起こらなければ変われない、ということはないんです。

人間というのは今に生きることしかできない。今の瞬間、瞬間の持続の中にしか生はない

何かが起こるというのは常に一瞬の出来事であり、持続の中での出来事なのです

 

 

     


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社会的な仕事魂の仕事

 

 仕事を、「社会的な仕事魂の仕事」というふうに分けて考えるという発想に

とても強く心を動かされた。

 

社会的な仕事」は「生活の(ための)仕事」だけど、

魂の仕事」は「人生の(ための)仕事」なのだという。

 

社会的な仕事はふつう言う「仕事」で、目に見えるからわかりやすいが、

魂の仕事」は心、精神的なものだから目に見えず、自分本人しかわかりにくい。

(忙しく立ち働いているときには社会的な仕事」「生活の(ための)仕事」が精一杯で、

とても「人生」とか「たましい」まで思い考える余裕はないけれど、ときには一歩、立ち止まり

休むことは大切だ。

 

たましい」のイメージは人によってそれぞれだと思うけれど、

心を深くすれば、たましい」になるたましいといえる)のじゃないか

と私は思う。

社会的な仕事」「生活の(ための)仕事」《それが何であれ》でも、一生懸命、心をそそげば

魂の仕事」「人生の(ための)仕事なると思った。

ただ、これは心のことだから、その心の持ち主本人しかわからない。

「私は心を込めて仕事をしているよ」と言ってもダメなのだろう)

 

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恩寵の訪れ

 

恩寵」という言葉。

 こういう言葉があるとは知っていてもキリスト教信者でなければ

ふだんの生活で使うことはほとんどないけれど、恩寵の訪れ」のようなもの

を感じることはある。

(「ありがたいなぁ…」と感じることがある。

これが「恩寵の訪れ」なのかな)

     

     


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伝える」とはどういうことか

 

 ホロコーストから奇跡的に生きのびたオーストリア精神科医フランクルの言葉

人生に何かを期待するのではなくて人生が私たちに何を期待するかが問題」を

知ったときは驚いた。

 ふつうは人生の主体は「人間」。

 だがここでは「人生」が主体になっている。

人生が私たちに何を期待するか

 

 ホロコースト絶滅収容所で「絶望している人間」は、

すでに「人生に何かを期待する」ことは諦めているので

逆に「人生」の方を主体にして言う。

人生が私たちに何を期待するか」と。

 

 そしてそれを「伝えなければならない」「せき止めてはならない」と。

 

 もちろんそれは大事なことだから伝えなければ…」「せき止めては…」。

 二つを合わせると 伝え続けなければならないということだ。

(黙っていてはただ通り過ぎていく」だけ)

 

生きるということの大切な仕事」は「次の人に渡す」が、すごく心に響いた。

 

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人生を大きく揺るがす出会い

 

 自分がいる、存在しているということは、考えてみれば本当に「不思議」、

奇蹟、ミラクルなこと。

(「意味」があるとかない(「無意味」)とか、そんな次元の低い問題ではない。

「いるか、いないか」 「存在」・「不存在」という根本的な問題なのだ)

 

不思議としかいえない、「今に生きることしかできない」自分の人生が、

その人生を大きく揺るがす出会い〉という他の不思議の存在

今の瞬間、瞬間の持続の中にしか生はない何かが起こるというのは常に

一瞬の出来事であり、持続の中での出来事」。

 ここも二つを合わせて考えると、人生を大きく揺るがす出会い〉といえども、

自分の生き方の「持続の中での出来事」に過ぎないということを強く感じた。

 

人生を大きく揺るがす出会い〉のような「偶然」と見えても、

それは「必然」だった、といえるのかもしれない。

(17歳の頃、私にとって唯一無二の親友Kとの出会い人生を大きく揺るがす」ものになった。

Kとの関係はごく短いものだったけど、彼との出会いは「偶然」だけど「必然」だったのだなあと

信じている

 

 

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                        ちりとてちん

まさをなる 空よりしだれ さくらかな  富安風生

 

 

 

 




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