この詩をお読みください。
(これに出あっただけでこの本を読んでよかったと思ったほど)
しりたいねん
あたし
おとうちゃんと
おかあちゃんが
どうしてすきになったか
しりたいねん
それから
みあいか れんあいか
しりたいねん
それから
どうして すきになったのに
けんかばかりしてんのか
しりたいねん
(小学3年生の女の子)
(グーグル画像より)
上の詩はこの本の「物語」という項目に載っていたものです。
(本は「幸福」ということについて、著者の思い考える「幸福」をいろいろな言葉で
述べられています。
「物語」の項では、「話を聞いているうちに私はその人を「対象」として見ているのではなく、
そのなかに私も深くかかわってしまう。…
私は「科学」というよりは「物語」の方に関心が向いていくのである」と述べられ、
クライアントの話、語りは「その人の「物語」になっている」といわれる)
のっけから、本の「物語」という項目で紹介されていた子どもの詩を
引用しましたが、他にもとても心に響いた五つの話があり、紹介します。
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①「〈モモの笑顔〉
ユングは、アメリカ・インディアンの人たちに会って、その老人たちの顔の素晴らしさに感心する。
ヨーロッパにはこれほどの威厳と落ち着き、それに温かさをそなえた顔をしているは一人もいない。
(ユングの会ったインディアンの老人の名前はたまたま「モモ」であった。
著者はミヒャエル・エンデの物語「モモ」との共通点として述べる)
(作られた)「時間」というものに縛られていない…自然の時間に生きている」
②「〈何か大切なもの〉
(著者が妊婦さんであるクライアントに接しての話)
「事実」と「真実」は使い分けしなければならない…
(その妊婦さんは)「科学的事実」と「妊婦としての真実」を対比させて後者の方が自分に
「しっくりときた」と…
(どんな「事実」でも、「(その)事実を知りながらも、それを「精神」のこととして
どう受けとめるかについて、ずっと考え続けること(つまり「真実」が大事)」
③「〈我を忘れる〉
「我を忘れる」体験を一度もしない人は不幸な人だと思う。
自分という全存在を何かに賭けてみる」
④「〈森〉
森を立体的に見るためには、むしろ目の焦点をぼやけさせることが必要というのも面白い。
教育のこととなると、ついわれわれは堅くなってくるのだが、一つひとつにこだわるよりも、
どこかでぼやーっと見ている方が事の本質がよく見えるということもあるのではなかろうか」
⑤「〈子どもの権利〉
(親の都合で簡単に離婚することに対する子どもの思いを尊重しなければならないと著者はいう)
「離婚は嫌だ」という子どもの権利は?(どうなる?)」

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(②の〈何か大切なもの〉と、⑤の〈子どもの権利〉だけ感想を書きます)
②
「事実」と「真実」ということ。
「事実」というのは客観的、普遍的、科学的なもので誰にも当てはまる。
(というか人間が存在しなくても、つまり理解されたり認識されることなく成り立つ)
ところが「真実」は主観的、個人的、物語的だから、
しばしば「事実」とかけ離れる。
人間が生きるということは、誰にでも同じように見え、感じられ、思われ、
考えられていても、他人とはちょっと違う自分という人間が生きること。
それに、生きている場所や時間などの「舞台」は人それぞれ。
世界でただ一つのもの、こと。
その人にとっての「真実」は、その人の「物語」なのだ。
(記事の初めの著者の言葉、「私は「科学」というよりは「物語」の方に関心が向いていく」
「その人の「物語」になっている」がとても強く心に響いた)
⑤
「子どもの権利」
(親の都合で簡単に離婚することに対して)私も「子どもの権利」として、
子どもの思い、気持ちを重んじなければならないと思う。
親の離婚は、親のどっちか(たいていは父)が虐待するので一方が
子どもを虐待から守るため、または、子どもが大人のような思考ができるように
ならない限り、あってはならないと(理想のようなことだけど、その理想を)願う。
小学3年生の女の子の、
どうして すきになったのに
けんかばかりしてんのか
しりたいねん
に、自分はどう答えようかと悩んだ。

うしろ手に つきし畳の 春めけり 柴田佐和子