今日は(後)、終わりです。
長い紹介・引用ですが、とても大切なことが語りかけるように、
やさしく書かれています。
((「ひきこもり」なんて自分には関係ない《あるとすれば孫、続く世代》と思っていたが、
大いに関係あると思いなおした)
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④
「〈就労=ゴールと考えるべきではない〉
・自信を持つことさえできればゴール
・本人はひきこもりの状態を決して楽しんでいませんし、肯定もしていません。
・現状をネガティブに考え、自責の念もある
・説得、アドバイスより「マイルドなお節介」
・私は就労支援における最大のネックは「動機づけ」であると考えています。…
むしろ孤立する自由、ひきこもる自由が確保されたとき、人は初めて孤立やひきこもりをやめる
自分だけの動機を獲得します。…
「就労しない自由」を認めることが大切 → 当事者にとって「安心・安全な環境」を重視」
⑤
「〈家族のための対応のヒント〉
・本人のために「良かれ」の間違い→(親でも子どもの「良かれ」はわからない)
・いちばん大切なことは「本人が安心してひきこもれる関係をつくる」こと
家族から受容されることで社会参加の意欲が生まれる
・食べるために働く時代は…遠い過去のもの
・「就労したい」と望むのは基本的に「承認欲求」のため
「承認欲求」 → 家族以外の利害関係のない他者からのものであること(が必要)
・ 欲望(は大切)
枯渇させないために小遣いは不可欠
・不安を解消する手段は、…「対話」と「お金」
(たとえ本人から無視されても)対面での挨拶・誘いかけ・お願いごと(は大切。
対面(であることの重要性→必ず「フェイス・トゥ・フェイス」であること)。
その際、たとえ本人から無視されても)心の中で「今日も元気でいてくれてうれしい」
「生きていてくれてありがとう」(と思うこと)
・ひきこもりの人の心の中 → 「恨み半分」「感謝半分」
・議論、説得ではなく「どうでもいい会話」を(する)
何か結論や正解を出すための言葉ではない
・接し方の基本は「愛情より親切」
「親切」に接しながらも、適度な距離を取って(親など)自分のプライベートも大事
・まずは公的機関のひきこもり支援窓口へ」
⑥
「第七章 成熟した社会の未成熟な大人たち(これが最終章)
■「非社会性」という拭いがたい烙印
・社会参加と成熟は…どちらが原因でどちらが結果なのでしょうか。
・未成熟さの表現形としての「非社会性」 (→ 「おたく」「不登校」「ひきこもり」)
■未成熟さ=反社会性だった時代においては、未成熟は「いずれ卒業していく一過性の問題」と
認識されていました。(→ 「不良」「ツッパリ」…)
しかし未成熟さ=非社会性となった時代においては、未成熟さはあたかも「先天性」かつ
「宿命的」な問題となっていきます。
・重要なのは、下位グループの生徒がこうした排除に抵抗するどころか、(いじめなどに
遇わないために)自ら進んで排除を受け入れてしまう点です。
→ 「宿命」ように認識してしまう
・私は、ひきこもりを未然に防ぐべき、すなわち予防すべきだとは考えていません。
なぜなら、まずその発想はひきこもりをニュートラルな状態として見ていないからです。
→ 価値判断とは無縁
・ひきこもりが批判されるのは、彼らが「働かない」「納税しない」「親を苦しめている」などが
主たる理由でしょう。しかし、生産性の有無で人の価値を判断するという発想は、きわめて危険
→ 「ひきこもりもいる明るい社会」を(を著者は願う)
・「一億総活躍社会」みたいなおそろしい標語よりも、
「二割サボっても回る社会」を目指すほうが、バランスとしてはいい気がします。
・「人はひきこもることがあってもいい」「どこでも、誰でも、いつからでも、
ひきこもりは起こり得る」「まともだからこそひきこもる」といった考え方が広く共有されれば、
ひきこもりは排除されにくくなり、一定以上に増加することはなくなると考えています」

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④の「就労=ゴールと考えるべきではない」
「「就労しない自由」を認めることが大切 」
「当事者にとって「安心・安全な環境」を重視」
⑤の「本人が安心してひきこもれる関係をつくること」
「愛情より親切」
には大いに共感した。
「就労」ということでは、
本の最終章、⑥で「生産性の有無で人の価値を判断するという発想」の危険性を
強く主張しておられ、「ひきこもりもいる明るい社会」の到来を願う。
そのためには決して「一億総活躍社会」みたいなおそろしい」社会ではなく、
国民の「二割サボっても回る社会」を目指すほうが…」と述べられる。
(首が痛くなるほど深く強くうなずいた)

ところで、「愛情より親切」には考えさせられた。
両方とも心からの「やさしさ」が元なのだろうけれど、
「愛情」が「心」という内面に隠れてわかりにくいものに対して、
「親切」は外にあらわれる行動的なものだからわかりやすい。
「ひきこもり」の人にはわかりやすさがいちばんなのだ。
(考えてみれば「オレオレ詐欺」の「親切」は、そのことで相手を信用させ、ダマすわけだ。
だから「親切」に弱い私たちは詐欺被害に遭いやすいのだと思った。
それに、詐欺する、ダマす側からいえば、詐欺の手段として装っていた「親切」であっても
その「親切」行動を繰り返すうち「親切」は本物になり、ダマそうとしていたお年寄りへの
「愛情」が生まれ、ダマせなくなったというドラマもありうるのだと思った)

何かある 早春の水を 覗きけり 高橋淡路女