この前、「小欲知足」を書いたばかりだったけれど、読みたいものを図書館の
HPで探していたところ、「サンデル」「中国哲学」という言葉を見つけた。
(「サンデル」はどうでもよかったけれど「儒教」がとてもよかった)
『サンデル教授、中国哲学に出会う』
(グーグル画像より)
中学生のとき国語で教わった孔子の言葉の一つ「巧言令色鮮し仁」。
語感の調子が心地好くて「バカの一つ覚え」のように覚えていた。
(子どものころのこういう「バカ…」をは大切なものだと大人になって気がついた。
語感の好さだけではなく、「巧言令色…」とやるたびに意味が思われ自分を律してくれた。
すぐに思い出すもう一つ、小学2年生のとき、当番で校庭の隅を一人で箒で掃いていたとき、
人が見ていなくともお天道さまはちゃんと見ているという意味のことを、見回りにきた担任に
言われたこと。
これも中学生のときの杜甫の「国破れて山河在り、…」も忘れられない。
《教師がしつこく読ませたのか、子どもながらも深く感じるものがあったのだろうか》
孔子や杜甫の時代からこれほど時間を重ねた現代も、詐欺は栄え、戦争はなくならない。
これほど時間を重ねた現代、またまたトランプが大統領になった。
孔子たちの教えの正反対のような人物を、アメリカ国民は選んだのだ。
強く感じたことが二つありました。①、②と書きます)
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①
「儒教」は「教」とはいっても宗教ではなく、その「教」はのちにいう哲学、
思想、倫理だった。
東洋世界、中国ではこんな古い時代から人間と社会の理想像を西洋世界、
ギリシャ哲学とは異なる視点から考え、問うていたわけだった。
儒教や老荘思想の人間と人生、社会への真面目さ、誠実な態度を痛感させられた。
(ずっと前に『論語』という新書を読んだが、孔子と論語だけを取り上げたもので、
この本のように西洋哲学と比較したものではなかったので、ただうなずくだけで終わった)
儒教は、「仁」「義」「礼」「知」「信」の人の道を説く。
でも、古い時代の社会、国家の体制を精神的に支え、維持する教説のイメージが
濃い。
なぜなら、国家権力によって自分に都合のいいように解釈され、歪んだそっちが
庶民に押しつけられた。
武士のように身分が高いとされた階層、高くはなくとも伝統やしきたりを守り
受け継ぐ商人、百姓なら庄屋のような人たちが家を守り、長続きさせていくため
家訓にもするくらい大事なものでも、その他の庶民には儒教は知る機会もあまり
なく、あってもどうでもよかったのではなかろうか。
(あえて「仁」「義」「礼」「知」「信」といわれずとも、人生でのそれらの大切さは、昔は生まれ
育った環境、暮らしの中で基本的なものは「自然に」身についていったのでないかと思う。
故郷の小さな学校にも戦争で国家のために死んだ兵隊さんの慰霊ということで、松と何か他の樹木が
盆栽状に植えられきれいに刈り込まれた緑の中に「忠魂碑」が建てられていた。
《ちなみにすぐ近くには薪を背負い本を読む二宮金次郎像も》)
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②
結果としては社会、国家のあり方、形は多様になるとしても、
人間と人生の、社会との関係の根本はいちばん小さく身近な社会「家族」で、
儒教はそこを大事にする。
(考えてみればあたり前で、その人の人格と生きる道の基本は赤子として産まれ、
子ども時代を過ごす家族、家庭、つまり「家」だ。
家より大きい地域、国家などの社会を考えるときも、「家」、それとの関係から出発しなければ
ならないはずだ)
個人や家と、社会や国家との「調和」を儒教は説く。
(私は「調和」など考えたこともなかったので、この言葉がとても新鮮に聞こえた。
以下、重要だと思うところだけ引用します)

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礼について
「儒者の理想は、礼の実践を通じて、同胞への気遣いや情けを養うこと…
善き社会はその運営を律する最も重要な手段として「法」(あるいは「刑」)に頼るべきではない
と考えていたのだ。
→(誰かが礼を守らなかったとき、何らかの罰や刑に「頼るべきではな」く、その本人が
「礼を守らなかった」という自分の行為を「恥じる」心を持つこと、つまり心という内面を律する
道徳感覚を持つことが大事)」
家族について
「(儒教の大きな特徴は「身近なものにたとえること」つまり「家族」だが、
家族の価値に大いに注目してきた理由は)
人間が道徳的主体になるための訓練の場なのだ。
家族を通じて、われわれは自分自身だけではなく、家族の面倒を見ることも学ぶ。
こうした心遣いを外部へと広げていけば、最終的には人類全体…」
調和について
「(儒教思想家の)目的は、正義が最も重要な美徳でなくてもかまわない社会環境をつくり…
それは調和のとれた人間関係(社会にほかならない)」
「調和の儒教的な概念は当初、調和を装った支配に代わるものとして発展した
(つまり、表面は「調和」しているかのように見えても、実際は不平不満の多くの民の声を
抑えつけている。歴史的事実がそうであったので、いくら儒者が本来「調和」とはそういうもの
ではないと力説しても、多くの民は「支配」の隠れ蓑にすぎないと解してしまう)
…
こうした傾向のせいで、(儒者の)多様性のある世界で調和を追求することは、…
西洋世界では良くて素朴、悪くすると有害だとみなされる
…
儒者の見解によれば、一つのタイプの物事がどれほど善良だとしても、
調和を生み出すことはできないのだ。…
多様性は調和にとっての必要条件なのだ」

大根の 白さは生きる 白さ 中村明子