ひろさちやさんの本は、現代社会で否応なく誰もが出あうような身近な悩み、
悲しみ苦しみに、仏さんはどうおっしゃるか、仏の教えは何かということを
ほんとうにわかりやすく、ときにはユーモアもまじえて語られる。
(とても面白いので、よくこの方の本を読み、取り上げます。
拙記事をお読みの方は「またか」と思われるでしょうが、心でうなずく簡単なことも、
行動、態度にまでにはならない自分への言い聞かせのつもりで繰り返し書いています。
ひろさんはもう故人となられました。
今日は阪神淡路大震災30年目。合掌)
『ポケットに仏さまを』 ひろさちや

(「グーグル画像」より)
「競争なんて捨てよう」と「ボケたらごめんね!」を書きます。
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「〈競争原理なんて捨ててしまいましょう。そんなもの悪でしかありません〉
・日本人は働くことを美徳としていますが、欧米人にとっては与えられた罰にすぎません。
(「働くこと 」を「必要悪」として捉えてみようと著者はいう。
ちなみに国家という存在も同様に「必要悪」だと)
…
・多くの日本人が競争を善だと考えるようになったのは、モノが豊かになってきたつい最近のこと
…
・”努力せよ”という言葉は傲慢さに満ちています。
努力しないで、怠けていても、いいじゃないですか。…
みんなそれぞれのベストがあって、それぞれのベストを尽くしているんです。
(と、人を信じる、見ることが大事だと著者はいう)…
人材教育や人格教育なんて、世間の価値観の押しつけです。
仏さまはそれぞれの個性を大切に生きるべき、と教えています
…
(競争原理は結局、個性の潰し合いを奨める。それはいけないと、著者は哲学者でもありカント、
それから仏教学者として道元を引用していう)
(カント)「物自体の世界が存在するかどうかについてはいかなる証拠もない。
人間にはそれを認識できない」「認識できるのは、現象のみ」
(つまり仏教でいう「空」、キリスト教なら「神のみぞ知りたもう」だと著者はいう。
世の中は諸行無常で移ろいゆくもの…
世の中が移ろっていくのなら、それを見ている人も変わっていく。
そうすると、なんであれ、それがほんとうなのかどうかをとらえるのは難しいことだ
(そして著者はいう。「幼稚園の子どもはその段階での彼らなりの認識をしているのだから
大人の見方のほうが正しいと断ずることこそおかしい」と)

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「働くこと」(国家も)を「必要悪」と見る。
そう考えたことがなかったので衝撃を受けたような気持ちだった。
(子どものころ学校で「働くこと」「労働」を教わっても、「権利であり「義務」でもあるという
ダマされた、大人に言いくるめられたという感じでしかなかった。
ともかく学校を出れば働かなければならないものとして育っていた。
子ども時代の憧れは別として、大人になってからの人生目標のようなものはなかったけど
幸いなことにやってみたい仕事はあり、まわり道しながらも運よく就けた。
《それに就けなくても、食っていければいいと思っていたのでそれほど「働くこと」の中身に
こだわったわけではない。
しかし、「必要悪」という発想はなかった)
「必要悪」。
なかなか味わいのある言葉、言い方。
さまざまな物事につて言えると思う。
(「この苦難は神様による試練か」として受け取り、自分に言い聞かせて努力するのもいいけれど
これは「必要悪」かなと受け止めてみるとちょっと肩の力が抜けそうな気がする。
がむしゃらに努力するのではなく、違ったアイデアを思いつくかもしれない》
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私は「がんばろう」というスローガンが大嫌い。
(実際、大きな災害ではこれだけ言われ続けているから、多くの人にとっては好意的に感じ、
受け止められているのだろうが、中には私のような者もいると思う)
突然の災害など酷く悲しい苦しい目に遭った、遭っているのが自分だったとき、
私ならそっとしておいてほしい。
善意であれ「ガンバレ!」と騒ぎ立ててほしくない。
(黙って肩に手を添えるとかトントンするくらいにしてほしい。
心の底深くの澱のような辛さがちょっとやそっとで癒されるわけはない。
長い長い時間の経過だけが辛さを和らげてくれるのだろう。忘れることによって。
阪神淡路大震災は30年になった。
悲しいこと、辛いことの基本は忘却でも、忘れられないことは節目節目に思い出す。
でもそれは、カタルシス、つまり心の浄化、癒しに変わり、傷ついた心を慰めてくれるのだろう
と思う)
努力も「がんばろう」と同じだと思う。
(この正月、孫たちがきた。一人は大学、一人は高校の受験を控え、よく勉強していた。
帰るとき一応「がんばれよ」と言ったけど慌てて「やっぱりがんばらんでもいい」、続けて
「幸運を祈ってるよ」と言い直した《孫は「ヘンなの…」「ジジイ、とうとうボケてきたか」と
感じたに違いない》)
競争と差別の世の中では誰かが合格、成功すれば誰かが不合格となり成功しない。
しかし、孫のような少ししか生きていない人間にはわかってもらいにくいけれど
人生を長い目で見たら何が「成功」で何が「失敗」なのか、そもそも人生において
「失敗」というものないとわかってほしい。

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カントは、今その物を見ているけれど、その本当の姿、本質を見極めることは
人間にはできない(認識できるとしたらせいぜい上っ面、現象だけ)と言い、
道元は、移ろいゆく時間の中でしか人間は生きられないのだから、カントと同じく
本質を見極めることは不可能。だから同じ時を生きている幼児も大人も同等なので
甲乙つける競争や差別の目で見るのはおかしいと言う。
信じる宗教を問わず「空」とか「神のみぞ知りたもう」をいつも胸に抱いておれば
競争も努力も「必要悪」もヘッチャラだ。

うつくしき 日和になりぬ 雪のうへ 炭 太祇