また東浩紀さんのものを読んだ。
こんどは、
『ゆるく考える』 という。

(グーグル画像より)
「ゆるく考える」。
「ゆるく」とは「張りつめていない」こと。
「余裕」がなければできない。
で、逆なことを想ってみた。
いつも張りつめていなければならない戦争。
戦争のような極限の状態ではなくとも会社や学校など社会での競争状態。
(本には多くのいろいろな話がありましたが、いちばん心にピンときた一つだけを書きます)

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「問題は、みなが信じる大きな物語がなくなったことにあるのではない。
「みなが信じる大きな物語があるべきだ」とみなが信じなくなっていること
…
現代社会は、彼らがそれらの物語そのものを個人的に信じる、それはいくらでも許すけれど、
彼らが「みながその物語を信じるべきである」と決意し、他人の信条に強引に介入することは
決して許さない
…
そのような徹底した「相互不干渉」こそが、…正義であり美徳であると感覚される社会です」
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この本での「大きな物語」とは、資本主義社会がそのうち必ず変革され
社会主義・共産主義になるという、社会が変わるというマルクス主義の話。
(マルクス主義はソ連や東欧が崩壊して終わったといわれているけれど、マルクスが理想とした
社会の姿は、すべての人々が実質的に平等で、究極的には「能力に応じて働き必要に応じて
受け取る社会」だったと、いまでも私は信じている。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の理想。
それこそ「あり得ない」ことだと思うけれど、「あったらいい」。
《「理想」というのはそういうもので、実現するかどうかは問題ではないと思う。
そう願って生きることが大事だと思う》)

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「問題は、みなが信じる大きな物語がなくなったことにあるのではない。
「みなが信じる大きな物語があるべきだ」とみなが信じなくなっていること」
であり
「現代社会は、彼らがそれらの物語そのものを個人的に信じる、
それはいくらでも許すけれど、
彼らが「みながその物語を信じるべきである」と決意し、他人の信条に
強引に介入することは決して許さない」という。
そういう現代社会では「徹底した「相互不干渉」こそが、…
正義であり美徳であると感覚される」
う~ん…
いまはよくいわれるようになった「多様性の尊重」は、「物語」ではなさそうだが
大きな影響力を持っている。
「多様性の尊重」ということ。
何に対する何の「多様性の尊重」かを問わなければ、
「多様性の尊重」は「事なかれ」主義の便利な言い訳になってしまう。
(「多様性」つまり自分と他人は違うという事実の「尊重」は、「相互不干渉」と勘違いしやすく
そうなると「思考停止」になってしまう)
「多様性の尊重」はいいことだと深く考えずスローガンのように使ってしまう。
しかし、気軽にいうのはやめなければならないと思った。

あかるくて つれなくて 柚子匂ひけり 伊藤通明