今日は最後、「第三章 情報圏とAI」と「第四章 AI倫理のラフスケッチ」です。
(大切と思われることがたくさんあったのですが、深く感じたことだけ羅列します。
あとで、自分の感想を書くつもりなので便宜的に番号をふりました)
「第三章 情報圏とAI
① 擬似人格としてのAIは、アニミズムに惹かれる人々の心性につよく訴えかける
② 「意味」抜きの情報処理
情報と言っても記号(デジタル信号)の量であって、それが表わす意味の量(そんなものが
計量できるとして)とは本来まったく無関係なことに注意しなくてはならない。
③ 人間が生物の一種であること、そして、ほとんどの生物が論理的な推論より、
むしろ直観や本能に依拠して生存していることからも明らか
AIをふくめあらゆる情報技術は、人間という生物特有の身体的・生理的な機能が基盤になっている
④ 情報有機体としての人間
コンピュータを中心としたICTは現実全体を作り上げ、再構築する。
情報有機体としての人間は「意味解釈エンジン」(になる)
機械が人間に「意味解釈エンジン」として働くように要求
人間はコンピュータ・システムのメカニズムの一部になる
第四章 AI倫理のラフスケッチ
⑤ 誰が社会規範をつくるのか
「人格」どおしの共感による結びつきが核心をなしている。
(AIは「非人格」)
社会規範をつくる基本的能力が人間の身体的な「共感」に依拠するという点は、
いくら強調してもし過ぎることはない。
⑥ 人間は、それぞれ自分のやり方で世界を観察し、意味解釈し、他者に共感しつつ、
取り換えのきかない固有の世界のなかで生きていく。
その経験から、はじめて道徳感がうまれるのだ。
だから一人ひとりの人格を尊重せよ!といわれる」

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本は新書版なので、ちょっと難しい話(その世界では有名な理論がいろいろと紹介)も
一般読者が理解できるよう丁寧に、わかりやすく述べられていた。
しかし、どんなに難しい理論、メカニズムで作動していても、AIはコンピュータ
という機械。
機械だから「非人格」な存在であって、決して「人格」をもつ人間ではない。
AIに責任をとってもらうことも、(機械であるAIに自由という観念はない)
倫理を問うこともできない。
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①
鉄腕アトムのように人間の姿に似せた超精巧なロボット(そのうち感情まで適切に表す
ロボットも出現するに違いない。「深層学習」によりAの場合は〇の感情、Bの場合は▢と、どんどん
学び、限りなく人間に似てくる)は親しみを感じさせ、頭ではわかっていても
ロボットを人間と勘違いする。
(だ介護ロボットを《テレビで》見た。一つは介護者、労働者の肉体的なの負担を軽減するための、
いかにもロボットという感じがしたが、別な一つは介護されるお年寄りの心の癒しのイヌ型ペット、
可愛いロボットだ。
《おばあちゃんたちは何度も目を細め「あーぁ、かわいい!」を連発し、体をさする》
温泉で湯に浸かると、湯船の石や板塀、柱の模様がなじみの動物、人の顔に見えてくることがある。
こういうのも広い意味ではアニミズム?)
②
その情報は自分にとって何? どんな意味がある?
(若いころは「世の中すべて人間のこと」、人間である自分に関係のないことは一切ない、
《チャンスさえあれば》何でも知ろう、経験しようと思っていたけれど、
歳を重ねるにしたがい、自分の《能力を中心に》限界を感じるばかり。
《「人間には無限の可能性がある」というが、子どものころ、せいぜい若いころまでは信じても
かまわないけれど、歳を取ってからは惑わされてはいけないといまは思う》
不要な情報に踊らされる、それに費やすだけの脳の容量、エネルギーは自分にはない。
だから自分にとって何が大事、大切にしなければならないことなのかを、いつも真剣に考えたい)
③
「論理的な推論より、むしろ直観や本能に依拠して生存」
学者のような「論理」「理論(理屈)」を仕事にしている人でも(「アカハラ」
という言葉もあるように)人間だから、私たちのように腹を立てたりムカついて
理不尽な振る舞いをしてしまうことがあるらしい。
学校の先生や警察官など公務員だろうと、性犯罪をおかす可能性はみんな同じ。
みんな残らず人間なのだ。
人間なんだから、人間的であると同時に動物的だということも
自覚しなければならないのだ。

④
「情報有機体としての人間は「意味解釈エンジン」」
「人間はコンピュータ・システムのメカニズムの一部」
とても強く考えさせられる。
「超」がつくほど高性能な「コンピュータ・システム」、AIが「主人」で
人間が「しもべ」の(科学SF小説で描かれるような)世界が、未来には現実となる
かもしれない。
コピー人間、デザイナーベビーなどを現実化させるバイオ技術の発展と
タッグを組めば地球最強、「神」をも畏れ(恐れ)なくなる。
(考えてみれば「神」《「神仏」も含む》という観念、「神を敬い、畏れる」という感情、
心のあり方は、人間の本性という存在の根源から起こるものであって、
「神」をも畏れ《恐れ》なくなった人間とはもはや「人間」ではないと思う)
⑤
「社会規範をつくる基本的能力が人間の身体的な「共感」に依拠する」
このこともすごく心に響いた。
「倫理」はもちろん、「法」や「制度」のような「社会規範」のすべての底には
「身体的な「共感」」が流れていなければならないと強く思った。
(だから現在、あれほど問題にされ、「改正」されたかに見えた政治資金規正法が「ザル法」
といわれるのは、国民に「身体的な「共感」」が感じられないからだろう)
⑥
すばらしい内容で、ただただ深くうなずくしかなかった。
この本のまとめ、〆にドンピシャの文章、言葉だった。

片あしの おくれてあがる 田植えかな 阿部青鞋