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2024.6.21 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』③

著者は「AI倫理」とは書いても「AI道徳」とは書かれていません。

(「倫理」と「道徳」の違いをネットで調べたら

 倫理が「人間として社会的に守るべき規範」であるのに対し、

道徳は「社会または個人の正義に基づく行為範囲」と認識されていますとありました。

《あまり違いがピンとこず、説得力を感じませんでした》

どうでもいいですが、私は「倫理」は自発的、自律的なもの、「道徳」は外から押しつけられた

強制されたイメージ、ニュアンスがあり、ネットにもそうあるかなと思ったのすが

 

本では「倫理」を問題にする限り、「自由」を論じることは避けられない

とあります。

初めに倫理の前提でもある「自由」との関係が歴史的にどうであったのか、

哲学的な見方の主な四つ功利主義 自由平等主義 自由至上主義 共同体主義

が第一章で説明されます(が省略します)

 

ここでは、次の自由が問題になってくる具体的な話、第二章から始めます。

 

 

 

ーーーーー

第二章 AIロボットは人格をもつか

自由意思と予測困難性

倫理の大前提としての「自由意思」…(人間はそれがあってこそ)行為を選択でき

「倫理」「責任」が問われてくる…

(しかし、現実には)自分がいつも自由意思や実践的自律性にもとづいて行為を行っていると

信じている人間は少ない…習慣にしたがってほとんど無意識に行動することも多い…

(つまりホントのところは「分からない」。

実際の行動は、いちいち「自分はいま自由に判断している」と確認し、自覚してとっているより、

習慣にしたがってほとんど無意識に」とっていることが多い)

この不可知性(絶対的な予測困難性)は、人間にかぎらず、相手が生物の場合には原理的に成立する。

不可知性の根拠生物が自分で自分をつくるオートポイエティック(自己-創出的)な存在だから

環境条件が変化すれば内部ルールは変更されるかもしれないが、…いかなる新たな内部ルールが

出現するかは、当の生物をふくめ誰にもわからない。

(「オートポイエティック(自己-創出的)」ということは、

生物は非生物《コンピュータなど機械》と違い、あくまでも自分自身で自分を創る。

これが、決定的に両者を区別している点)

… 

 

生物オートポイエティックと機械の境界線

AIロボットアロポイエィック

アロポイエィック(他者-創出的)つまり、人間が設計する…

出力(行為)を予測できる以上、機械には原理的にいかなる自律性も自由意思もなく、

責任を問うことなどできない。AIやロボットは「自律型機械」ではなく「適応型機械」と

よぶべき

 

観察の相対性

予測困難性という性質は「観察する視点(観察者)」に依存して出現する。…

(たとえば「それと分かる軽薄なロボットは」生きた人間と区別することは誰でもできる

だが、相手がネットのなかに組み込まれたAIであり、ユーザーと対話する場合はどうだろうか。

(たとえば「それと分か《らない軽薄ではない》ロボット」、たとえば鉄腕アトムは人間に近い姿を

しており、なおかつ賢いので、観察者は人間かロボットか判断する予測困難性に陥りやすい)

 

ネオ・サイバネティクス〉(詳しいことはネットですぐわかります)

生物は「情報をうけとって客観的世界を認知している」のではなく「(生存をつづけられるように

情報を解釈して主観的世界を構成している」のである。

コンピュータ:開放系」 人間:閉鎖系

機械の情報処理は人間の観察行為とは本質的に異なる

メールで相手にメッセージを送っても、必ずしもこちらの意図が十分に伝わるとはかぎらない…

相手の心は原理的に閉鎖系であり、そこで相手による「意味解釈」がおこなわれるためだ。…

コンピュータの場合は「開放系」なのでまったくそういう懸念はない

 

(近未来社会においては)インターネット世界の規模が拡大され…

われわれの身体が住む物質的空間の直接的出来事より、デジタル空間のなかの間接的出来事が

効率のよいリアリティ」と見なされていく。

要するに、計算でAIがくだす判断や決定にもとづいて人間社会が管理運行されていく。…

社会メガマシンのなかに人間が部品として組み込まれている

 

 

ーーーーー

頭の回転がよくないので私は何度もなんども読んだ。

(書いているいまも、本当に自分は理解できているんだろうかと疑われてくるけれど、

「本当」かどうかはあまり問題ではなく、自分なりに納得できておればよいと思っている)

 

自由意思と予測困難性〉、〈生物(オートポイエティック)と機械の境界線

観察の相対性〉、〈ネオ・サイバネティクス〉…と、言葉だけ聞くと

少し頭が痛くなったが、自分なりに理解し、納得できない話ではなかった。

ーーーーー

AIロボットは人格をもつか」の答えは、もたない」。

なぜなら、AIは「人工知能呼ばれるほどの優れものであっても、

あくまでも「物」。コンピュータ。

人間が外から、データという「原料」、「素材」、「資料」…

ともかく元となるものを集めて、入力しなければならない。

 

だがAIは、進化し続ける。

操作の最初は外からの人の手による「一撃」が必要であっても、

後は、機械であっても(「深層学習」という名の)学習により絶えず自動更新し、

ますます賢くなっていく。

失敗、ミスが多いのは初めのうちだけ。

(それで思い出した。私がパソコン始めたころはWindows Meでフリーズなどトラブルは

しょっちゅうだった《どころかマザーボードなど主部品も交換したこともある》。

ところが7、8、10とバージョンアップされるごとにトラブルが減り、いまは自分の障害でキーボードの

打ちまちがえというヒューマンエラーでしょっちゅうイライラするけれど、機械《コンピュータ》

側のミス、トラブルで悩むことはほとんどない)

 

但し、そういう失敗、ミスだけはおかす確率が限りなく0に近づいても、

機械が人間、生き物になるわけでは決してない。

ーーーーー

オートポイエティック」「アロポイエィック」という生物とAIなど機械の区別

の話、とくにネオ・サイバネティクス」での

生物は「情報をうけとって客観的世界を認知している」のではなく

「(生存をつづけられるように情報を解釈して主観的世界を構成している

の話にはとても刺激された。

 

いまの現実の世界を見れば、確かに地球温暖化阻止や生物多様性保全などの

取り組みが一方ではなされていても、他方では「生存をつづけられるように

しているとは間違っても思えない争い、戦争が起きている。

 

流行の生成AIに聞けば、「どっちも人間だよ」と応えてくれそう。

それに加えて、「ひとりの人間にどっちもあるよ」と言われそう。

 

 

 

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                       ちりとてちん

明けいそぐ 夜のうつくしさや 竹の月  几菫

 




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