以下の内容はhttps://kame710.hatenablog.com/entry/2024/06/18/090846より取得しました。


2024.6.18 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』②

今日から本題。

(引用は「まえがき」からです)

 

ーーーーーーーーーー

周囲環境の安定が前提 予測不能 事故が起きたときの「責任」の問題

 (何よりいちばんに)倫理的かつ法的な問題を解決しなくてなならない。

(しかるに現状は)とかく経済効果やビジネスへの配慮が先行

人間は実社会で必ずしも論理的厳密性にこだわって活動しているわけではない。…

間違いはあってもだいたい合ってい(ればよい」と考えるのが現実的。

現在の《AIの》第三次ブームの技術革新の中核は「深層学習」とよばれる「パターン認識システム」。

だが、これは「単なる統計計算」にすぎない)

 


ーーーーー

本では初めに、「AI」技術はすでに多くの生活場面に活かされているし、

これからますます、飛躍的に利用されていくに違いないが、

たとえば「自動運転」で事故が起きてしまったとき、その責任はどこにあるのか、

誰がとるのかという問題、つまり「倫理」、「責任」が問われる。

現実的には法律の整備)

 

ところが現実は、「経済効果やビジネスへの配慮が先行」している。

(著者だけではなく多くの人が実感していると思う。

《AIに限らず》どんな分野の問題でも、新しい技術が開発されれば、ほとんど開発者の利益・儲けが

優先され、その技術の及ぼす悪影響や問題点は「想定外」の事故などが起き、初めて問題になる)

ーーーーー

本の意図は「まえがき」でしっかり述べられているけれど、あらためて強く、

しつこいくらい、人間が生きるということのすべての営みの根っこに「倫理」

「道徳」がなけれればならないことを思った。

(「人体」の外部や環境ではなく「人体」の内側、中、そのものに働きかけるバイオ・医療技術。

「人体改造」「デザイナーベビー」「コピー人間」「不老不死」…。

ちょっとでも手を抜くと、放っとけば《それが「生き物としての自然」かもしれないが》「倫理」

「道徳」の観念は心のことなので、容易に忘れ去られる。

だから世界のあっちこっちで、そうすることが長い目で見たら人類の存続によりよい貢献をもたらす

信じ、個々の人間の欲望欲得に、法律・制度により歯止めが《いまのところは》かけられているが、

「人が人であらんがために」、これからもいつまでもそうしてほしい。

 

「ゼツメツキグシュ《絶滅危惧種》」という言葉は私が子どものころには一般的に聞くようなことは

なかった。

人間の生きる営みが、他の生き物にとっての「害」「邪魔」になったという現在の地球。

たまに、そういう大きな眼をもって自分を見つめてみるのも大切なことだと思う。

AIに、人間のとるべき道というものを聞いてみたい)

 


ーーーーー

後半の部分、「実社会で必ずしも論理的厳密性にこだわって…」は

とても大切なことがいわれていると感じた。

続いての「間違いはあってもだいたい合ってい(ればよい」も。

(もちろん「ケースバイケース」。人の生死に関わる自動運転の人身事故のように「だいたい」では

決してすまない、いけないこともある。

 

AIは、こういう人間のあり方、生活、営みの「論理」を理解することができず、

従来の「論理的厳密性にこだわ」り続け、ガチガチになっていて進展せず

なかなか現在の第三次ブームを迎えられなかった

 

現在のAIというコンピュータ機械でよく聞く「深層学習」は、

人間でいえば「慣れ」のようなものだろうか。

慣れは(長く続けば)癖にもなるけれど、よくない習慣と気がつけば直せばよい。

(ホント、私たちの日常の暮らし、実生活は論理的厳密性」とはあまり縁がない。

けれども、同じ動作を繰りかえす中で《意識するしないに関わらず》身につく慣れは、

「深層学習」とよばれるパターン認識」《「単なる統計計算」にすぎなくても》によって

成り立たっているのじゃないかと思えた)

 

 

 

                     f:id:kame710:20171029114701j:plain

                       ちりとてちん

ゆるぎなきゆ青田の色と なりにけり  清崎敏郎

 




以上の内容はhttps://kame710.hatenablog.com/entry/2024/06/18/090846より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14