今回は能登の神社のハナシです。古代史もほんの少し出てきます。
本来ならワタシの別ブログ『古代史は小説より奇なり』の題材にすべきものですが、
まぁ大した考察も無く(笑)、音楽も入れちゃったので(笑)、、
ここでUpさせていただくことにしましたm(_ _)m
興味の無い方もおられるかと思いますので、文章は完全スルーでも全然OK!🙆
写真と音楽をお楽しみいただければ(笑)と思います!(^^)/
ある秋の休日、、
ワタシはフト思い立ち、能登の神社を訪ねることにしました。
能登は地域性の濃密な、個性的な神社が非常に多く鎮座する面白い地域です(*´ω`*)

今回はその中でも、地形的にも歴史(古代)的にも特異な地域、、
邑知潟(おうちがた)地溝帯を目指しました。
南西の羽咋市から北西の七尾市にかけての細長い平野が邑知潟地溝帯です。
邑知潟地溝帯(邑知平野、邑知潟平野とも)は、
東端の山際の直線状と、西端の山際の直線状にそれぞれ、古い町が連なっています。
それぞれ、俗に「東往来」「西往来」と呼んでいます。
今回はその主に東側(東往来近辺)の神社をいくつか巡りました。
そこから中能登町の中を北上していきます。
非常に静かな空気が流れています、、、

最近は、賑やかな所よりも、こうした静かな空間に身を浸すことに幸せを感じます。
御由緒、、

由緒書きとはいいますが、、、

肝心の祭神については、全然説明になってない(笑)気が、、、
結局ミカドヌシってどういうヒト(神)なのか?
どうしてこのようなヤンゴトナキお名前なのでしょうか、、、
・・・謎はナゾのまま(笑)、、、_| ̄|○

実はこの神社のほど近くに古墳もあります。それが関係しているのかどうか、、
白久志山御祖(シラクシヤマミオヤ)神社


ここは以前から気になっていた神社です。
「シラ」も「クシ」もワタシ的には大いに意味がある言葉、、、
とだけ申してあげておきましょう。
出雲神話(『記紀』)で「コシのヤマタノオロチ」に喰われる運命だったところを、
スサノオに救われてお嫁さんになったヒメ様ですね。
ちなみにコシとは北陸地方(越の国)のことと考えられています。
ただですね、、この集落(小田中)には崇神天皇の皇子・大入杵命(オオイリキノミコト)の
先述の御門主比古神社のところで言及した「古墳」がまさにこれのことなのです。
じつは大入杵はこの白久志山御祖神社のもうひとつの祭神でもあるのですが、、
これは後付け(合祀?)のような気もしますが、さて、、、?
・・・ともあれ、なかなかフクザツな歴史がありそうです(笑)
天日陰比咩(アメノヒカゲヒメ)神社にやって来ました。能登二宮です。

ヒメ神様を祀る神社っていいですね(*´ω`*)
とくにここのヒメ、、、お名前に陰翳が感じられ(笑)て、好きな神社です(*^^*)

当社は修験の山である石動山の西麓に鎮座します。
主祭神の屋舩久久能智(ヤフネクグノチ)の「ヤフネ」は建造物の神、
「クグノチ」は(草木とありますが)樹木の神。
ちなみに、、
古事記の天の岩屋戸の段で、アメノウズメが素肌に纏った(💗)「天之日影」は、
ヒカゲノカズラのことなのだそうですが、、、
この「天日陰比咩」は果たして、、、?
由緒書きでは後背の山を「アメノヒカゲ山」といい、
その大御前峰社は地域の雨乞い所だった、、
とありますから、その重要な役目を負った大巫女(巫女王?)だったのかも。
ちなみに地溝帯を挟んだ向かい側(西往来)の眉上山には「雨の宮古墳群」があり、
そこにも天日陰比咩神社があります。
いまは小さな祠だけですが、、昔は拝殿・本殿があったとのことで、
そこでは雨乞い神事が行われており、「雨の宮」と呼ばれていたとのこと。
祭神は水の女神・ミズハノメ。
ある意味こっちの方が分かりやすいといえば分かりやすい(笑)
・・・どっちが本家なんでしょうか(笑)_| ̄|○

こちらの天日陰比咩神社は、中世(鎌倉~室町)の資料によれば、、
「蓋し、中古乱世、社殿廃頽、神官、神人等悉く散乱、(以下略)」
とあるのですが、この「中古」がいつのことなのか、、、
どちらにせよその一時期の混乱に巻き込まれて廃れてしまい、
貴重な文物が失われてしまったのか、、

愛らしい狛犬さん(*^_^*)

手水舎の龍神様


社殿の中を撮らせていただくと、、、

反射が著しい(笑)ですが、、、中に女性像が見えますね、、

天日陰比咩でしょう、、、ね?
境内社:天神稲荷社、、、妙にパワーを感じました・・・

境内にはいくつか現代美術風オブジェ(?)が置かれており、これもその一つ、、

これもナニやらパワーを纏っています(笑)
旧・鳥屋町の羽坂まで来ました。
ここで気になる神社を二社ほど訪ねます。
まずは手間神社。
temahime(id:temahime)さんのルーツがここに?、、、(んなワケあるかい! 笑)

鳥居の上部や石灯篭など、地震の激しい爪跡がそのままに・・・
由緒書きにもヒビが、、、

由緒書きには書いてありませんが、祭神はスクナビコナ(少彦名)、、


ここも強いパワーを感じます。

ワタシには木立の中に龍神様がいくつか見えております(笑)
ついでに言えば、手間神社一枚目の写真の緑にも龍神様のお顔が見えます(笑)
羽坂の交差点を越えた反対側にも行きましょう。
鳥屋比古神社です。

左の道は参道です。

字が読みづらいです。

拡大(右側)

(左側)

・・・鹿島路(邑知潟地溝帯)の湖水(邑知潟と思われます)に、
「荒ぶる毒蛇」が生息して住民に害をなしていたのを、国土平定の祖神・鳥屋比古が
平定(退治)した、と・・・
実はこれとソックリな話しが、同じ邑知潟地溝帯の西の端に鎮座する気多大社の
社伝として残っています。
いわく、、、
出雲のオオナムチ(オオクニヌシ)が、この地で人々を苦しめていた
化鳥(怪鳥)と大蛇を退治して、この地を平定・開拓した、、、
オオナムチも鳥屋比古と同じく「国土平定の神」ですから、
鳥屋比古もオオナムチの当地での異名と考えて差し支え無かろう・・・
と、ワタシは気軽に(笑)考えます(*^_^*)
そしてこのハナシ、、
出雲神話における「コシのヤマタノオロチ(八岐大蛇)」の伝説ともソックリなことに気付かれるのではないでしょうか、、
実は邑知潟の「オウチ」は「オロチ(大蛇)」のことと考えられています。
つまりオロチ潟。
そしてまたまた「ジツは」が重なりますが(笑)、、
この鳥屋比古神社の鎮座する場所には、「出雲」姓の家が非常に多く密集(まさにゴチャッと)している場所でもあります。
・・・このあたりを掘り下げると非常に長くなるので、とりあえずここまで🙅
余裕があれば近いうちに古代史ブログの方で簡単な考察を試みたいと思ってます(^^)
あくまで「余裕があれば」、、の場合に限りますが・・(´∀`*)ウフフ
あと余談ですが、、、
実はこの鳥屋比古神社の最初の写真の1mほど手前に、地震で崩壊した鳥居の跡が残ってます。
が、、、
帰りにそれも写真に撮ろうとスマホを出したのですが、、
どうしてもカメラが起動できない・・・!!(゚Д゚;)
何度も試したのですがダメでした(笑)
「おかしいなぁ・・」と思って、、、
・・フト気付きました。あ、そうか、、、
「・・・写真に撮って欲しくないんですね?」
・・そう心の中で神様に訊ね、
ひとりナットクして(笑)そのまま帰路につきました(笑)(^▽^)
今回はこの5つの神社を訪ねさせていただきましたが、
この邑知潟地溝帯には他にも重要、、というか面白い神社がいくつもあります。
それだけ太古の時代から重要な地域(主に交通・交易の面)だったんですね(^^)
弥生期から重要だったことはほぼ分かっているのですが、
ワタシはさらにさかのぼって縄文期にはすでに重要な意味を持つ地域だった、、
と推定(妄想.笑)しています(´∀`*)
交通交易の要衝ともいえるこの地の支配権をめぐって、古くは地元コシの勢力、、
そしてイズモの勢力、、、
さらに後にはヤマトの勢力が、、、
というのが、考えられる大まかな流れでしょうか(個人の意見です.笑)
今は長閑で静かな地域となってます。
こういう所に住むのもいいなぁ、、なんて思ったりします(*´ω`*)
寒くなると接近する二人(笑)

飼い主には、たとえ気温が氷点下にニャっても接近してくれる女性は、いニャいω♪
お日様のカタチの変化をお楽しみください(笑)




おにぎり🍙みたいになったり(笑)UFOみたいになったり(笑)
飛行機雲が交差してますね

左上の雲(↓)、、、

ワタシには龍神様が振り向いているように見えます(笑)(´∀`*)
ワタシには、、、

鳳凰様が羽根を前方に広げて飛んでいるように見えます(笑)

ワタシには屋根から顔を出した龍神様が、口から炎を吐いているように見えます(笑)


いつもパパへのお付き合い、申し訳ニャいですω

ではまた次回までゴキゲンようω
