本日12月1日は新暦換算での、小早川秀秋公の命日*1なので、何か書こうと思っても、日ごろの準備が足りず、ネタはあっても詰めていく時間がないので、二ヶ月ほど前に買った、『看羊録』における秀秋公のからむ、ある事情など抜き書きしてみようと思います。
2ヶ月くらい前、自分が、Yahooショッピングから、何か割引のチケットを貰えてるらしいと知り、買いました。確か5割引きだった気がするので、もっと高いものを買えば、と思いましたが、後悔はしてません。
でも、電書にして正解でした。病院の待合室など、チマチマと空いた時間に、気になることをスマホからチェックできました*2。
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『看羊録』とは
ひとことで言えば、日本が1597年の慶長の役で朝鮮に攻め入った時にとらえられ、日本に連行された官僚知識人の姜沆(きょうこう、韓国読みではカン・ハン)という人が、母国李氏朝鮮に向けて書いた日本に関する報告書です。
詳しくはこちら↓
1597年に日本軍(藤堂高虎軍)につかまって日本に連れてこられ、関ヶ原の戦いにつながる会津征伐直前の、1600年4月に出国しています。その3年間に見聞きしたことをまとめたものです。
私がこの本を買った理由は、ちょっと気になることが書いてある、とネットで知ったからです。
秀吉死後、三度目の朝鮮出兵が計画されていた?
また朝鮮に行かねばならない、と、秀秋公がこぼしていた、という噂を、姜沆が書き留めているのです。秀秋公は慶長の役の総大将なので、そうした計画があれば、話を聞く可能性は確かに高いのですが……。
私が倭京から出発する日、倭僧舜首座(藤原惺窩)は大丘(大邱)の虜われ人金景行なるものを〔通訳として〕まねきよせ、ひそかに、次のようなことを私に耳うちしてくれました。
「きのう、筑前中納言金吾〔小早川秀秋〕にあったのですが、その言うのに『内府〔家康〕は、やがて明年には再挙して、朝鮮を犯そうとしている。もしそうであれば、私もまた〔朝鮮に〕行かねばなるまい』とのことでした。(後略)」
(本文207ページから208ページ)
後略の部分には、徳川家康が、前田利長、宇喜多秀家らと不仲であり、その力を削ぐために朝鮮に出兵させようと考えている、と書かれています。
秀秋公→藤原惺窩→金景行(通訳)→姜沆という伝言ゲームで伝わっているようですが、この件は惺窩経由だけでなく、もう一人の人からも姜沆に伝わっています。
また医師の理安が〔小早川〕金吾〔秀秋〕のところからやって来て、言ったことがありました。
「明年、再挙〔朝鮮に出兵〕し、内府は長子の三河守〔徳川信康〕を大将とするつもりだ、とのことです」
(本文208ページ)
とあります。周知のように家康の長男、徳川信康は1600年以前に死んでいるので、この部分は、何かの聞き違いだと思われます*3が、再挙するという計画まで聞き違いとも思えません。
姜沆は出発を数日遅らせ、少しこの件について聞きまわり、日本の情勢はどうなるかわからない、という話の他、毛利家の参謀僧、安国寺恵瓊の周囲にいる朝鮮人に聞いた結果は、「数十年の間は、朝鮮に攻め入られるという心配はない。日本人は内輪もめに忙しい(大意)」というものだったということです。
とにもかくにも、三度目の朝鮮出兵の話が、二通りのルートから、いずれも発信元は秀秋公、という形で、記されていることが気にはなります。
本当にそういう計画が、一つの案、程度だったとしてもあったのか、それとも、秀秋公がホラというか、偽情報を流していたのか、あるいは、藤原惺窩や理安が秀秋公の名を騙って嘘をついていたのか、今一つ分かりません。こういう記録があった、ということをここでは書き記すにとどめたいと思います。
他にも色々と興味深いことが書かれているのですが、長くなりましたので、この辺で。
では。
おまけ。朝鮮出兵をテーマにした韓国映画の紹介です。日朝の軍の武装というか、戦装束の違いが興味深いです。
紹介動画。
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