こんにちは、株もっちーです。
心の趣くままに、文章を書いてみます。
エッセイ:空を見上げる余裕、ありますか?
朝、目が覚めた。まだ薄暗い部屋のカーテンを開けると、東の空が美しく染まっている。オレンジとピンクが交わり、ゆっくりと青へと溶けていく。そのグラデーションの美しさに、しばし言葉を失う。こういう朝に早起きすると、ちょっとした得をした気分になる。「早起きは三文の得」とはよく言ったものだ。たとえ雨の日でも、雨粒が屋根や窓に当たる音が静かに響くのは、それはそれで悪くない。布団に包まれたまま、しばしその音を聴いていると、心が穏やかになる。
けれど、そんなふうに朝を楽しむことができるのは、余裕のある時だけだ。子どもの学校の時間は早いので、少しまどろもうと思っても、そんな気分に浸っている余裕など一瞬で吹き飛ぶ。コーヒーを淹れる暇もなく、急いでパンを口に押し込み、子どもの着替えを手伝い、忘れ物がないか確認する。バタバタとした時間の中では、朝焼けも雨の音もただの背景になってしまう。
家を出て駅へと向かう道すがら、ふと顔を上げると、空がどこまでも澄んでいることに気づく。昨日まで気にも留めていなかったが、改めて見ると、雲がぽっかりと浮かび、ふわふわとたゆたっている。吸い込まれそうな青空を見上げるのは、思いのほか心地よい。
けれど、何かに追われていると、そうはいかない。うつむいたまま歩き、ホームに立ち、混み合った電車のドアだけを見つめる。足元ばかりを気にしていると、空の存在すら忘れてしまうものだ。
昼休み、オフィスビルの窓から外を見る。眼下には、新幹線が滑るように走り、幹線道路には車が流れるように進んでいく。行き交う人々を眺めながら、みんな何かのために移動しているのだなと思う。目的地があり、それぞれの時間に追われながら。それでも、こうして眺めていると、不思議な連帯感のようなものを感じることがある。
けれど、次の用事に急かされると、そうも言っていられない。PCの画面を凝視し、スマホの通知を追いかけ、窓の向こうの景色など気にも留めなくなる。
早めに仕事を終え、駅へと向かう帰り道。西の空は、赤や紫の光に包まれている。夕焼けというのは、どこか感傷的な気分にさせるものだ。その美しさに足を止め、少しだけ深呼吸する。迎えに行った子どもと同じ空を眺め、「きれいだね」と話す瞬間の幸福感は1日の疲れを和らげてくれる。
けれど、もし残業をしていたらどうだろう。気づけば窓の外は真っ暗になり、夕焼けがどんな色をしていたのか知る由もない。ただ、疲れた体を引きずるように帰るだけの時間になる。空の色一つを見逃すだけで、一日がまるで別のものになってしまうのかもしれない。
空はいつもそこにある。ただ、その美しさに気づくかどうかは僕次第だ。