「立ち読みの歴史」を読んで、日本文化の猥雑な部分に触れていたら良かったと思った。本文中、西洋には立ち読みがないという過去の日本人の証言に触れて、ないことはない、としているが、実は西洋の新刊書店というのは、日本のそれとは雰囲気が違って、ひどく生真面目な感じがして、そのために立ち読みをするという気分にならない。私はカナダのヴァンクーヴァーの書店しか行ったことはないが、北米では概してこんな感じで、ヨーロッパもそれに近いだろうと思っている。
それは本のあり方にも現れていて、西洋には高級文化と低級文化の間の中間文化がない。テレビなどはそれに近いが、書籍でいえば、新書のようなものはない。文庫クセジュというのがあるが、あれは新書の中の「キリスト教入門」みたいなものだ。もっといえば、浅田彰の『逃走論』とか栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』とか上野千鶴子の『セクシィ・ギャルの大研究』みたいな、学者が書いた猥雑な本というのが西洋にはない。もっともそういう本が流行ったのは日本でも1980年から2000年ころなので、限定的ではある。
あと雑誌のあり方が違う。『ブルータス』とか『ダヴィンチ』みたいな、本のことを扱っているのにひどく猥雑な雑誌というのは、西洋にはない。今はなくなった『噂の真相』みたいな雑誌も、ない。1970年ころから2000年ころまで、日本には女優のヌード写真集というのがあったが、西洋にはそういうのはない。『プレイボーイ』や『ペントハウス』といった月刊雑誌に、陰部の見えないヌードが載っていたりするが、これはヌードモデルのもので、あとは「XXX」という実に下品な店で売っているセックスをもろに写したハードコア・ポルノがあるだけだ。女優が映画で脱ぐことはあっても、写真集になることはない。
あと、2000年ころから変わってきたが、大河ドラマのような、歴史をドラマ化するということが西洋では日本ほど盛んではなく、私は2000年ころ、アメリカ独立革命を描いた映画を探して見つからなかった。その後「ジョン・アダムス」のような優れた連続ドラマができたが、こういうのは日本のマネである。日本に多い歴史小説や歴史ドラマの元祖は講談で、こういう自国の歴史に取材した話芸というのは西洋にはなかったようで、西洋の歴史小説というのはどういうわけか「レ・ミゼラブル」のように、歴史を背景に架空の人物が動き回るものが主だった。
そういうことの結果として、日本の書店は、色々な本や雑誌を覗いて楽しむ「遊び場」的な雰囲気があったのに対して、西洋の書店にはそういう雰囲気がなかった。だいたい西洋の本のハードカバーは立ち読みするには重すぎるし、フランスではちゃんとした本は装幀がされていなかったりする。あと日本では文庫本というのがあり、ドイツのレクラム文庫をマネしたというが、レクラム文庫は中身は堅いものだし、いわゆるペーパーバックは、書店というよりドラッグストアなどで売っている。雑誌類も、書店で売っているのは堅いものが多く、ヌード雑誌などはドラッグストアである。
というような違いがある、ということを書いたら面白かった、と思ったのである。
(小谷野敦)