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「日本的論理」などというものはない

橋本陽介『「文」とは何か』に、西洋人はAかBかという論理(排中律)で考えるが、日本(東洋?)には「AもBも」という別の論理があると書いてある。そういうことは過去いろいろ言われたのだが、これもインチキ日本文化論である。そもそもそんなことを言い出したのは西田幾多郎で、日本的哲学を作ろうとして仏典から引き出して言い出したのだが、では現実にそれ以前の日本文化に「あれもこれも」などという論理が動いたことがあるか。あるわけがない。羽柴秀吉が、柴田勝家を滅ぼすか滅ぼさないか、あれもこれも、などということはないので、せいぜい仏僧の頭の中にしかそんな「論理」はないのである。

 こういうことを言うのは幼稚なナショナリズムだと思うのだが、橋本氏はなんでこんなことを考えたのだろうとやや理解に苦しむ。

小谷野敦




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