以下の内容はhttps://jinseiyoyoyo.hatenablog.com/entry/2026/01/15/070000より取得しました。


あんた、搾取されてるよ

どうもよよよです

 

f:id:Jinseiyoyoyo:20260114165035j:image

気にしすぎ

俺は完全に逆だな、「どうして自分だけ⋯」みたいな感情は起こらない、俺は確かに嫌われてるけど嫌われてるのは中年、あるいは昼からぶらぶらしている無職というものが全体的に嫌われてるからその煽りを受けて嫌われてるのだ、べつに俺個人への評価ではない、と思っている

質問にあるような感情は、逆に自己評価高いというか、自意識過剰というか、世間はべつに自分個人のことなんかそこまで気にしてないというのが前提にあって、もっとアバウトな記号として個人を認識しているだろう

道あるいてて、あ、子供がいるな、主婦がいるな、リーマンがいる、ギャハハ!とは思うけど、さらに踏み込んだ個人の内情まで気にしてない

反対に世間からの俺への評価も同じだろう、きたねぇおっさんだな、というだけで、今どき昼ぷらぷら歩いてるからこいつ無職だなとか思われない、言って回ってるなら別だが

百歩譲って、嫌われてても俺への影響がなければ構わない、そんな無職属性で勝手に好き嫌い判断するそいつがバカ、ぐらい思っていい

リタイアするなら唯我独尊、自分の気持ち優先でいるべきだ、社会を捨てたのに今さら社会のこと気にして受け入れられようとしてるのか?働くのがめんどくせーからリタイアしてる奴なんか、真面目に働いてる側からしたらどうあがいても世間から嫌われるのは当たり前なんだよ

税金払ってないから⋯働いてないから⋯俺ってダメだなぁ

そういう気後れしながらリタイアしてても楽しくないでしょ、あいつらリタイアというものがありながら好きで働いてるんだから逆恨みってもんだよ

俺が提唱している、俺の体が臭くて周りが苦しんでても俺が臭くなければ構わない理論だ

わかるか?俺が臭い、というのは俺の周りが解決しなければならない課題であって、俺の課題ではないのだよ

勇気を持って社会を捨てたんだろ?リタイアしたならそうやって開き直りなさいよ

 

f:id:Jinseiyoyoyo:20260114184126j:image

 

寿命が延びたのならそれだけ、社会が個人に向ける年齢的なステレオタイプは変えていくべきだろうとは思う、寿命いくつにもなっても20代ぐらいまでが若者、そうした価値観がいつまでも張り付いたままでは変だ

ただまぁ無理に急に変えていかなくとも世代交代していけば何歳からおじさんおばさん、などと風潮は自然と変わるだろう

よくSNSでいる、今どきの〇〇歳は若いしわたしはおじさんorおばさんじゃない!と頑張っている人を見かけるが、急に今いる人たちの価値観は変わらない、世代を経れば自然と変わるものを無駄な努力だ、今世はあきらめよう

出産適齢期、あるいは精子の劣化が始まる年齢のようなある程度、生物としての固定の期間があるのが厄介だなと思う、そのへんの固定した適齢期というものがあるから社会的な若者、という価値観も固定されてしまうのだろう

今後寿命が伸びるにつれ問題となるのが一般的な人生のイベントが前半に集中し過ぎている、中盤移行の虚無おじさんゾーンが長すぎる問題はある、一般人はそれにすがって生きているのだからね

結婚もずっと同じ人というのも飽きるだろう、子供作るにはこの人、生活するにはこの人、二段階ぐらいに分けてもいいかもしれない

ステレオタイプは変わっていくべきだろうが、それがそのマクロなんとかみたいに社会として支援すべき弱者として認めない範囲を広げようという魂胆に利用されるなら議論が必要だ、ただのステレオタイプ解消のじじばば認定問題が社会的な切り捨て議論に利用されるべきではない

あんたはまだ若いんだから、がただの勇気づけではなく切り捨てる口実となるリスクは極めて高い

寿命が伸びるほど、老化という減少は個人差が大きくなりいつまでも動ける人、早々に動けない人が出てくる

上位〇〇%以外は老人と認めてないので保障はない、といった社会制度は冷酷に思える

年齢に加えて病気や健康、日常的に行える動作を客観的な尺度で測り、老人ラインを引くのが人道的ではないだろうか、つまり働けない俺は老人で保護されるべき対象ってことになる

 

 

f:id:Jinseiyoyoyo:20260114171422j:image

あちゃ~魂が労働に汚染されてるね、手遅れだ

一番やっちゃいけないのはテレワークリモートワークだと思ってる、家と労働する場所を同じとする行為

私のように労働が人生の敵だと認識してる人間がいるとして、その敵を家に招き入れる行為、一番やっちゃいけない、鬼は外

働くならどんなに面倒でも出勤という行為を通じて、安息の地である家と戦場である職場は分けること、そうしないと家が安息の地ではなくなってしまう

例えば労働時間外だったとしても家にあるリモートワークに使うパソコンがちらっと目に映っただけで「そう言えばあの案件⋯」などと脳裏によぎってしまう、そういった日常に労働が入り込む隙を与えてしまう

リタイアとは労働から魂を完全に切り離すことなんだよ

自分の家に労働(不浄)を持ち込んで日常とごちゃ混ぜとなってしまう、リモートワークとはまったく否なるもの

リモートワークできるホワイト職場マウントしたかったのかな?でも残念、それは一番俺が忌み嫌うものなのでした

あと、労働時間内のパソコンに使う電気代、通信費、冷暖房、制服、トイレットペーパー代、仕事場(家賃)、そういった社内労働環境に関わるものは全て会社が費用を負担するべきだけど、それを自宅でやらせることによって自費負担になってるのどう思う?自転車の費用と事故にかかるリスクを全部個人に負わされてるウーバー配達員みたいでかわいそうね、それで「自由な働き方!」とか喜ぶのってジャップ社畜しぐさだと思わないか?今調べたらテレワーク手当なんか2割の企業のみとか検索でたわ笑、出ても数千円でほぼ自費負担

さらに調べたら労災が起こっても「自宅で起きたことでしょ?」とうやむやにされるケースがあるらしい、企業に都合のいいことばかりだな⋯あんた、搾取されてるよ

リタイアがそうした搾取するしか能がない汚れた労働を人生から切り離す、「病巣を切除すること」を意味するなら、労働を家にまで持ち込むテレワークリモートワークはガンのように「身体全体に浸透させること」、実に恐ろしい⋯

リタイアとは断じて違う、というのは強く言っていきたい

社会や企業の都合に屈して日常の環境まで労働に捧げた、そんなんでセミリタイアとか二度と口にしないでいただきたい、リタイアとはもっと尊くて神聖なものなんだよ

 




以上の内容はhttps://jinseiyoyoyo.hatenablog.com/entry/2026/01/15/070000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14