どうもよよよです

3日に一回ではなくあくまでも不定期更新中です、気分が乗ったら書く、気分が乗るのが3日に一回というルーティンなのです
しかし不定期というのもなかなか難しい、実際やってみると無限に更新しなくなるだけです
結局、わたしは不器用な人間で何かを並行してやるということができません
1日〜2日ゲームに集中して一切外界の情報を絶ち自己の宇宙にこもる、そして帰還し外部の情報を取り入れ宇宙からの気圧を減圧室で戻しようやく、しょうがねぇな読者に天啓を与えてやるかと腰を上げるのが3日に一回というスパンなのです
気分は乗ってても数年間家にいるだけなので本当に書くことがありません
しかしネタに困ったブログほど味が出るものです、「書きたいことがたくさんあって困っちゃうよ」なんてブロガーがいたらそれはきっとつまらないブログだと思います
ネタがある段階では読んでいる側もつまらない、どこかに取り繕った予定調和の雰囲気を感じるからです
そこで「書くことないからメシの画像でもあげよう」としょうもない納豆ご飯の写真をあげ、これがわたしの今日のご飯ですというコメントとともに日記とする、これが地の味です、こういうのでいいんだよ

カスハラはいけないと思いますが、最近はその風潮が強まりすぎてカスハラ・ハラスメントではないかと思うことがあります
理想は対等な関係であり、互いの扱いの不当について言いたいことはその場で言える雰囲気にすることが社会の成長ではないでしょうか
単純に固まったパワーバランスを崩れることをカタルシスとして良しとするようでは快楽主義に染まったエックスに大量にいるアホのための娯楽だ
それで終わらせないために、我々は社会として成長するために客と店員の関係について考えなければいけません
相手を生きてる人間であることを誰もが自覚するということです、ゲームのNPCではないのだと
しかしその場で考えるどころか客側にしても店側にしても、陰湿にネットに「こんなキモいやつがいました〜w」と晒し上げることが結局のところ「the日本人」って感じで流され易すぎるバカジャップだなと思います
それは相手が生きてる人間だという自覚がない人間がすることです
いったんどちらかに世の中の風潮が流れるとどこまでも極端に振れるのが、この国のバカだと思う部分の一つです、店員擁護に振れるとただの客晒し上げみたいな行いも世間は「よくやった!」と称賛します、あいつらは自分で考えることのない能無しです
どんどん世間の頭の悪い人間が嫌いになっていきますね

あなたみたいに仮想の話に余裕なくキレるのが、まさしくりりちゃんに騙される男なんですよ
なんでも真に受けるな、気をつけたほうがいい
わたしはヨイショではなく理解しようとしているだけだ、犯罪者の行為への理解を拒むというのは思考停止だ、同じ人間がどのように犯罪への動線を辿ったかという事から自分がいかに犯罪に関わらないかを学ぶことができる
犯罪への想像力が足りない人間はいつか被害者になるか犯罪者自身になるか、いずれにしろ足を踏み外す
先日のトランプ襲撃犯のこともそうだが行為や経歴を観察してなぜそんな事をしたかを自分の立場に立って考えることで、自身への警鐘になる、もちろんあくまでも一歩ひいた立場でだ、共感しすぎるのも良くない
ま、プロファイリングってやつだね、君も勉強したほうがいい
りりちゃんがやってた事は「たった一人に対してのアイドル活動」なんだよ、理想の女像を演じてみせ、弱みをみせて同情を誘い金をせしめた、そこはVチューバーとまるっきり同じ
問題はただひとつ、騙す対象がごく少数にやったこと、まったく同じことをVチューバーになって不特定多数にやれば問題にならなかった
「お母さん大好きで〜いつか家を買ってあげたくて〜」なんていい子なんだろう、はいお小遣い、が、はいスパチャになっただけ
結婚をちらつかせるのも同じ、「わたしは視聴者さんと結婚してるからね〜他の女に浮気しないでね〜」←弱者男性囲おうとする常套句
個人が一人にやると犯罪だけど組織的に多数の対象にやれば犯罪ではない、そういう例が世の中にはとても多いのがムカつくところだ
賢さとは多面的なものだ、ホストに騙されても他の男を騙すことが出来ないとは限らない、人気Vチューバーになるのも可能だったはずだ
何度でも言うがりりちゃんはVチューバーになって弱者男性相手に組織的な詐欺を行いもっと合法的に莫大な金を稼げたはずだ、ただ方法を間違った、そういう意味では愚かとは言える

愛憎入り混じる、というところ
今のところはまだ自分は世界の祝福を受けていると感じる、今は苦労なく生きていける、好きに食べ飲んで眠りうんこをする
風が流れ星々が夜を照らしてくれ、人もまぁ自分から遠ざけてしまってはいるが、自分を強く拒絶はしていない
祝福されてるうちはわたしは愛を持って世界に返します
ちまたの犯罪者のケースや経歴をみると「この人は祝福されてないな、これなら犯罪に走ってもしょうがない」と思う事もあり、自分も世界からの寵愛がなければどうなるかは分からない
世界が恨みを持って俺と接すれば俺はきっとそのまま返すだろう
ただ最近は俺も丸くなったと感じる
怒りを感じてどうしようもない時は社会や人々の至らなさを"幼さ"と捉えることにしている、自分が彼らの地母神になったかのように大きな愛で感じること
まだ発展途上なのだと、そうすると怒りは慈しみに変わり、愛が芽生える
そういう意識が重要で「俺って世界から祝福されてる」と思うことだ
良いことがあったら「ほらみろ祝福されてる」と嬉しいし、悪いことでも「でも俺は祝福されてるから」と立ち直ることができる
生き方に軸がない弱者男性は宗教が必要だと言ったが、だったら自分が教祖の宗教に入信すればこんなに手っ取り早いことはない