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キャリア・アイデンティティの動的平衡モデル

私は何者なのかを問う自己のアイデンティティは、人が生きていく意味づけを行ううえでたいへん重要な概念です。そして、仕事をする上ではとりわけ「私は職業人として何者なのか」というキャリア・アイデンティティが重要です。キャリア・アイデンティティ如何によって、仕事のやりがい、モチベーション、組織へのコミットメントなどさまざまな要素が影響を受けるからです。キャリア・アイデンティティに関連する概念で最も有名なのは、エドガー・シャインが提唱したキャリア・アンカーでしょう。自分は職業人として何者でありたいか、何を大切にするのかといった変わらない価値観(アンカー、錨)を意味するもので、しっかりとしたキャリア・アンカーを持っていれば、環境が変化してもそれに流されたりすることなくしっかりと自分のキャリアをデザインできると考えます。

 

しっかりとしたキャリア・アンカー、そして安定したキャリア・アイデンティティが確立されれば、人は仕事にやりがいを持ち、生き生きと働くことができると思うかもしれません。しかし、現実を想像した場合、キャリア・アンカーやキャリア・アイデンティティは一度確立されたらずっと変わらないものなのでしょうか。Sugiyama, Ladge, & Dokko (2024)は、そうは考えません。むしろ、キャリア・アイデンティティはダイナミックに変化しうるものだと考えます。そこでSugiyamaらは、動的な意味あいを込めた「キャリア・アイデンティファイング(identifying)」という表現をします。ここでは、キャリア・アイデンティティの動的プロセスと呼ぶことにしましょう。Sugiyamaらは、この動的プロセスには、現在のキャリア・アイデンティティを維持したいという力と、キャリア・アイデンティティを変化させたい、環境変化に合わせたいという力の両方がせめぎ合って緊張関係が生じていると考えます。

 

ワーク・キャリアは私たちの加齢や成長とともに段階を踏んで、あるいは連続的に進展していくものであり、当然、ビジネス環境や職業環境も変化するので、端的にいえば、働く人も働く環境も両方変化し続けます。Sugiyamaらは、キャリア・アイデンティティを維持したいという力と、環境変化に適応してキャリア・アイデンティティを変化させたいという力のせめぎあい、すなわち緊張関係を中心とするキャリア・アイデンティティ動的平衡モデルを構築しました。このモデルが示唆するところは、私たちのキャリア・アイデンティティは常に変化しているわけでもないし、ずっと維持されてるわけでもない。本質的に不安定で両方が共存しており、動的平衡の状態にある。そして、キャリア・アイデンティティを維持しようとする力と変化しようとする力のダイナミックな関係がさまざまな出来事によって影響を受け、それによってキャリア・アイデンティティは漸進的にあるいは不連続に変化していくということです。以下、このモデルのプロセスを具体的に見ていきましょう。

 

私たちは常に、自分は何者かを問うているわけではなく、同様に、常にキャリア・アイデンティティを意識しているわけではありません。ですが、大小に関わらず、時折、それを意識せざるを得ないようなイベントに遭遇します。例えば、ヘッドハンターから連絡があった、仕事で失敗した、会社の業績が傾きリストラが始まった、昇進した、異動辞令が出た、などです、とりわけ、自分のキャリア・アイデンティティに影響を及ぼすような出来事を、トリガー(引金)とSugiyamaらは呼びます。これは、これまで、キャリア・マネジメントを維持しようとする力と変えようとする力がバランスして平衡状態にあったものにショックが加わってその平衡状態が一瞬崩れることも意味します。トリガーが生じると、これまでのキャリア・アイデンティティを維持する力と、トリガーに関連した環境変化に適合させる形でアイデンティティを変化させようとする力の新たな緊張関係が生じます。ここでは例として、技術者として専門職的に会社で働いてきた人が、管理職への昇進を打診されたことをトリガーとして考えてみましょう。

 

企業において専門職から管理職に昇進することは、キャリアにとっても、キャリア・アイデンティティにとっても大きな変化を意味します。当然、本人はそれに応じるか悩むでしょう。この過程では、技術者としてのアイデンティティを維持しようとする力と、企業の管理職としてのアイデンティティに変化しようという力の2つが共存しています。技術者から管理職にアイデンティティを激変させることが難しいからこそ、悩むし、かつ緊張関係が生じるのです。Sugiyamaらのモデルでは、この緊張関係は3種類あります。1つ目は個人的な緊張関係で、技術を追求したいという思いとマネジメントを通して会社に貢献したいという思いのせめぎ合いです。2つ目は、人間関係的な緊張関係で、技術者の仲間や所属学会など専門性に基づくつながりと、管理職として、経営幹部や同僚の管理職といった会社経営に関するつながりとの緊張関係です。3つ目は、集団的な緊張関係で、技術者集団の一員としての自分と、会社のマネジャー集団の一員としての自分の緊張関係です。

 

上記のような緊張関係が顕在化すると、私たちは「アイデンティティ・ワーク」に取り組むことになります。アイデンティティ・ワークとは、自己のアイデンティティを強化したり、変化させたり、修復したり、安定させたりする取り組みの総称として理解してください。先ほど例に挙げた人物が、悩んだ挙句、最終的に管理職への昇進を受け入れる意思決定をしたとするならば、その際に、技術者としての自分と、管理職としての自分を両立する手立てはないかと考えたかもしれません。その結果、管理職になっても技術についてはキャッチアップを怠らず、同僚の管理職のみならず技術者とも交流を続け、技術面でも貢献していこうと思うに至るかもしれません。どのような方向にキャリア・アイデンティティが向かうのかは、アイデンティティ・ワークのあり方次第なのですが、いずれにせよ、維持したい、変化させたい、という2つの力の緊張関係をやりくりしたり折り合いをつけることが不可避であって、それが動的なキャリア・アイデンティファイングの本質だとSugiyamaらのモデルは示唆するわけです。

 

その結果、キャリア・アイデンティティに新たな平衡状態が生まれます。先ほどの例でいけば、昇進した技術者は、その結果、技術もわかる管理職としてのアイデンティティが新たに構築されたといった感じです。ただ、平衡状態と言っても、完全に静止しているという意味ではありません。Sugiyamaらが「動的平衡」と行っているように、日々の出来事には小さなものも含めて、自分のキャリア・アイデンティティを意識する機会はよくありますので、維持しようとする力と変化しようとする力は小刻みに押し合いへし合いしているわけです。つまり、せめぎ合っている。綱渡りとか自転車に乗っているように、ゆらゆらと揺れながらバランスをとっている。それが「動的平衡」なのです。それはそもそも、キャリア・アイデンティティを維持しようとする力と変化させようとしている力が活性度の違いに関わらず常に同居しており、内在化しているからです。

 

そしてそういった動的な平衡状態は、別の重要な出来事が生じた際にそれがトリガーとなって再度揺らぐことになり、再び、キャリア・アイデンティティを維持する力とトリガーに応じて変化させようとする力の緊張関係が活性化します。先ほどから例として挙げている人物で言えば、ここでのキャリア・アイデンティティを維持しようとする力は、技術もわかる管理職という昇進時にアイデンティティ・ワークによって新たに形成されたキャリア・アイデンティティ、そして変化させようとする力は、技術者としての自分ではなく、経営幹部として会社経営に特化したキャリア・アイデンティティを志向します。今度は役員への昇進話が出て、役員になれば、流石にもう、現場レベルでの技術面でのキャッチアップや貢献は難しくなりそうだというような状況です。

 

そういった緊張関係を再びアイデンティティ・ワークによってやりくりし、それ如何によって、また新たなキャリア・アイデンティティが生まれてきます。そして、再び、キャリア・アイデンティティ動的平衡状態が生まれます。人生におけるキャリア・アイデンティティの進展は、このようなプロセスの繰り返しだとSugiyamaらのモデルは示唆するわけです。

 

以上をまとめると、私たちのキャリア・アイデンティティというのは、本質的に安定することはなく、不安定なものです。そして、静止していることはなく、常にダイナミックに変化しつつあります。不安定でダイナミックである理由は、アイデンティティを維持しようとする力と、環境に応じて変化しようとする力が同居しているからです。普段は、その2つが小刻みにバランスをとっている「動的平衡」の状態にありますが、キャリアの方向性に影響を与えるようなイベントが起こると、それがトリガーとなって動的平衡が崩れ、新たな緊張関係が活性化します。アイデンティティ・ワークによってそれをやりくりすることで、以前とはやや異なるキャリア・アイデンティティ動的平衡状態が生まれます。このようなプロセスが繰り返されることで、私たちのキャリア・アイデンティティは、連続的もしくは断続的に変化していくのです。

 

Sugiyamaらのモデルで重要なポイントは、ここで描かれるキャリア・アイデンティティの動的なプロセスは個人の主観的な経験であって、客観的なキャリアの変化、すなわちキャリアアップとかキャリアチェンジとは異なるということです。客観的なキャリアチェンジが起こるずっと前から、キャリア・アイデンティティは変化することもあり、キャリアチェンジと同時にアイデンティティも変化するとは必ずしも言えません。また、客観的なキャリアチェンジが生じなくても、日々の仕事における出来事がトリガーとなって、キャリア・アイデンティティが変化していくことも当然起こりうるわけです。客観的なキャリアの状況に関わらず、私たちのキャリア・アイデンティティは日々揺らいでおり(動的平衡)、キャリアチェンジにつながる出来事であるないに関わらず、何らかの出来事がトリガーとなってこれまでの動的平衡のバランスが崩れて新たな緊張関係が顕在化し、そのため、異なる動的平衡の実現に向かった緊張関係のやりくり、アイデンティティ・ワークが起こることをモデルとして示したところに大きな貢献があると言えましょう。

参考文献

Sugiyama, K., Ladge, J. J., & Dokko, G. (2024). Stable anchors and dynamic evolution: A paradox theory of career identity maintenance and change. Academy of Management Review, 49(1), 135-154.

 




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