「神力・仏力も業力(ごうりき)には勝てず」、これは中世仏教の常套語だ。業力とは宿業(しゅくごう)の規定性をいう。日常的にどれだけ正しい生活をしてきたか、その努力(業力)が次の人生をほぼ決める。それに比べれば、神仏の力が関与できる余地は小さい、というのだ。これは別に難しい話ではない
喩えていうと、日常的にどれだけ一生懸命に受験勉強をしてきたか、その努力(業力)が合否を決めるのであって、神や仏でも、それを怠った者を合格させる力はない、ということだ。中世仏教は神仏の力の限界を強調したが、考えてみれば、それは別に突飛な考えでも、何でもない。ごくごく普通の考えだ。
平雅行教授のポストより
https://x.com/oioglff68jLiZ5p/status/1941898808289562770
視野が狭くなった方ほど、神仏頼みになっていることが多いように思います。
ですが、目的に向かっての努力や病気なら病院に行くことが現実的でしょう。
『陰騭録』には、信仰をしながらコツコツと良いことをし、目の前の課題に取り組めば道が開けるとありました。
【一夜賢者の偈】
過去は追うな
未来を願うな
過去はすでに捨てられ 未来はまだ来ない
だから ただ現在のことをありのままに観察し
動揺することなくよく理解して実践せよ
ただ今日すべきことを熱心になせ
明日 死のあることを誰が知ろうか
かの死神の大軍と会わないわけはない
このように考えて
熱心に昼夜おこたることなく励む人
このような人を一夜賢者といい
寂静者 寂黙者と人はいう
お釈迦さまはこう仰っています。
「ただ今日すべきことを熱心になせ」と。
合掌