
『かはたれ』『たそかれ』朽木祥作 福音館創作童話シリーズ
第35回児童文芸新人賞 第53回産経児童出版文化賞推薦 第39回日本児童文学者協会新人賞
『天狗ノオト』が現代にも生きる天狗の姿であるならば、現代に生きる河童の物語が『かはたれ』とその続編である『たそかれ』。
とても繊細な旋律の音楽を聴いているかのような美しい物語。美しすぎて、ひねくれてる私はところどころむずがゆくなってしまうところも正直あり、いい子すぎる主人公の女の子に感情移入できなかったのだけれど、心が清らかになっていく、そんな物語。舞台が鎌倉で身近なので風景が手に取るように目に浮かびました。文章自体は難しくないので小学校高学年から読めるだろうけれど、あの心情を理解するのはやはり中学生以上かな。
【かはたれ】
母親を亡くし、心の感覚を失ってしまった小5の麻、そして猫に姿を変えた孤独な河童八寸の友情物語。亡くなったお母さんは麻に目に見えないものの美しさを教えてくれて、『耳に聞こえない音楽』を書き留めるノートを二人で始めるのです。
Heard melodies are sweet, but those unheard are sweeter
(耳に聞こえるメロディーは美しい。しかし、聞こえないメロディーはもっと美しい)
イギリスの詩人ジョン・キーツ(1795~1821)の言葉。私も大学のときこの言葉に出会って好きでノートに書き留めてたなあ。
このお母さんが亡くなってから麻は自分の感覚や感情がよく分からなくなり、声が出なくなってしまうのです。そんなとき形を整えることに懸命で麻の気持ちに思いをはせられなかった麻のお父さん。これねー、気持ちに思いをはせるって簡単に言いますが実際にはとおっても難しいです!麻とはシチュエーション違えども、自分の子どもの言動を見て、あんなんじゃ周りから白い眼で見られるんじゃないか?仲間外れにされるのでは?このまま大きくなってしまったらどうしよう・・・etc.そういう思いが親ってどうしても先にたってしまって、その言動を問題視して矯正しようとしてしまうんですよねえ(って私の場合はですが)。頭ではわかってるんです、気持ちに寄り添うことが一番大事だって。でも、ついつい形に目がいって心配してしまう。麻のお父さんの気持ちがよーーーーく分かります!
【たそかれ】
『かはたれ』から4年後のお話。里に下りていき、学校の古いプールに棲む河童「不知」を連れて帰ってくる役目を与えられた八寸。麻の通う中学校のプールで麻と再会した八寸は、協力しあって不知のために尽力し、時空を超え記憶の中を旅する・・・。
こちらはね、もう読みながら何度も涙しました。切なくて切なくて。
これでもか、これでもかと戦争の悲惨さを訴えるものよりも、こういう物語を通してのほうが個人的にはああ、戦争なんて二度と!と強く思わされます。ネタバレになりますが、不知が学校のプールに居続けるのは戦争によって引き裂かれた帰らぬ人を待っているからなのです。60年間も!さまようしかなかった死者の魂。私は戦争を知らない世代だけれど、これを読むと3.11と重なるのです。
印象的なのは麻のおじいさんの話。河童の話は子どもたちが川で遊ばないように諫めようと大人たちが言い出したことではないかと。だって、その川面は見えないほどの屍が浮かんでいたから・・・。死者の数があまりにも多かったため、あまりにも突然にこの地上から消えてしまったために、亡くなった人々は生きている人々の暮らしの中に、ごく当たり前のように紛れ込んでいた・・・亡くなった娘のことを、まるで生きている人のことのように話す、聞いてる人もあたりまえのように相槌を打つーそんな奇妙な感覚が人々の間にあった。死者たちは慕わしいものであっても、けっして厭わしいものではなかった、と。
そうなの、そうなの慕わしいものなの。
3.11から5年。震災のことを描いた物語ではないけれど、この『たそかれ』を読み返したくなるのです。