
『ヘヴンリープレイス』(2010年)濱野京子作 ポプラ社
夏に読みたいYA(ヤングアダルトと呼ばれる児童書と一般書の中間にあるもの)の良書!
現代っ子の抱えているモヤモヤが丁寧に描かれています。うっかり電車の中で読んでしまって、ウルウル涙腺抑えるのに大変でした。
ラストシーンが納得いかない、モヤモヤするという感想の人も多いみたいですが、親の顔色見るところから一歩抜け出して進んでる姿は個人的には好きでした。
今までの当たり前を見つめ直すきっかけともなり、社会の弱者への偏見も取ってくれる一冊。
これね、大人(特に親という立場にある人+親に対してモヤモヤ抱えたまま大人になった人)も読んだほうがいい。絶版かな?(品切れ)。図書館or中古本で。
«『ヘヴンリープレイス』あらすじ》
引っ越してきたまちで、和希は暮らしに悩みを抱えた少年少女たちと出会う。
親の虐待にあっている英太、児童擁護施設を抜け出してきた史生、登校拒否中の有佳。
彼らを救いたい――でも助けられないのは、自分が子供だからなの?
クラスメイトをいじめていた自分自身、両親、そして社会に目を向け始める……。
それぞれ過酷な境遇にありながら、しかし彼らは明るく、あたたかなふれあいが続く。
緑ふかい林の中ですごした、天国のようなひと夏の物語。
今年度坪田譲治文学賞を受賞した、濱野京子の渾身の最新作!
(ポプラ社ホームページより転載)
■ 親の呪縛?&いい子の僕
中学受験勉強が突然できなくなってしまった和希。和希の両親は理解があるほうなんです。
一見親の意見を押し付けず、子ども自身の選択を尊重しているかのように見える。でも、実際は、「自由にしなさい」」と言いながらも「必ず道を指ししめす」(ドキッ)。そして、和希は親の希望に沿う選択をついついしてしまうんですね。
本当は続けたかったピアノ。受験のために自分で納得してやめたと思ってた・・・でも本心は・・・。人って本心と違うことをすると、こんなにも苦しいものなんだなあ。
これ、サッカーや友だちと遊ぶことに置き換えても同じだと思う。
和希がエライのは、そんな親を責めるのではなく、‟本当はどこかで自分をごまかしているってわかってたはずなのに、それを見ようとはしなかった自分がずるい”と客観視できてるんです。
そんなことないよー。これ、やっぱり大人が悪い!と言ってあげたい。
とはいえ、理解ない大人を乗り越えて、人は成長していくものだしなあ。難しいところ。
そして、これね、親のほうの気持ちも分るから、刺さる。
友だち付き合いにあれこれ言いたくないけれど、図書館に行ってると嘘つかれて、廃屋通ってる、しかも友だちは身元不明の子・・・となれば心配するのも当たり前ですよね。
中学受験をやめたいと伝えたとき、お父さんは悲しそうな顔をするものの「がっかりだ」とは口にしないのです。いい親だから。いい親を演じるのが好きだから。(P.172)
子どもは、ホントよく見てますねー。こういうこと感じてモヤモヤしてても、言語化できない思春期の子どもたちが読んだら、共感の嵐なんじゃないかな。
■人はどんな過去からも立ち直れる
秘密基地(森の中の廃屋)にいたさまざまなバックグラウンドの子どもたちと、ローシ(老師)というあだ名の謎のホームレスと出会い、色々な気づきを得て成長していく和希。
子どもたちがここに集う理由、ローシ(老師)の存在が光っています!
ローシは学校では学べない‟本当の勉強”を教えてくれるのです。中でも私が素敵だな、と思ったのは‟林の中の音を気をつけてきくこと”という課題。ああ、いいなあ!こういうの。生きた勉強。ローシって一体何者?
まさに人格者といった感じのローシは、非常に物静かで、押しつけがましくないとことがいい。熱いポジティブ励まし系でないところも(←これ、うざったいですからね)。子どもたちで話合ってるときは、口を挟まず、黙って聞いている。これ、できる大人なかなかいないんですよね。
具体的には何をしてしまったのかは明かされませんが、ローシは故郷に帰れないようなことをしてしまったらしいのです。でも、人間は立ち直ることができる、そんなことを教えてくれます。名作、『ナゲキバト』を思い出しました↓

『ナゲキバト』の紹介記事はコチラをクリック。
現代ならではの悩み、社会のゆがみの影響を映しだした物語。親子で読んでみるのもいいかも。
小学校高学年から。