
音楽クリエイターのヒャダインさんや作家の村上春樹さんは、体育の授業がいやでいやで仕方なかったそうです。
体育の授業の何がいやなのかを考えてみました。
体育の授業が苦手な人の気持ち
体育の授業が苦手だったという方は少なくありません。
そんな苦手意識がある方々に体育の授業のどういった所がいやだったのか聞いてみました。
Aさんの場合
体育の授業は大の苦手でした。
小学校では跳び箱が跳べず、出来ない子だけが最後まで練習させられました。
(跳べへんだけでなんで私らだけ練習なん?)
跳び終えた子は、周りで好きに遊んでいる姿を見て惨めな気持ちでした。
B子さんの場合
ドッジボールは、球が怖くて捕ることができず平均台では、バランスが取れずに最後まで練習させられました。
バスケットボールでは、シュートが出来るまで皆の前でさせられました。
(全員に見られている中で苦手なシュートなん、入れられへん)
落ち着いてやれば入れられるのに、見られている恥ずかしさもあり、集中出来ませんでした。
C子さんの場合
走るのが苦手で、マラソンの季節になると憂鬱な気持ちになりました。
マラソンは、いつも最後になるので、皆が走り終わった後も、一周遅れでゴールしていました。
その他
彼女たち以外にも、運動会がいやだとか、水泳の授業が嫌いと他にも、意見はありました。
私の場合
私は陸上とダンスは好きです。
けれでも、ボールが苦手。
特に体力テストのボール投げは、大嫌いでした。
体力テストというのは、新学期が始まってすぐ体育の授業であります。
体育の授業は運動が得意な子にとって、ここぞとばかり自慢の運動神経を見せびらかせる場であるのですが、そうでない子には苦痛で仕方ないと思うのです。
ボール投げは飛距離がないのに加え、新学期でまだ新しい友人もままならないまま、自分の恥を周りの皆にさらす事になります。
さらに、その記録は生徒たちによって記録され、見た目と数字によって2度恥をさらされる事になるのです。
運動が嫌いなのではない
A子さんは、山登りが好きで今でも身体を動かしています。
B子さんは趣味の日本舞踊でその道で生活をされています。
C子さんは、運動が嫌いという意識のまま過ごされてきましたが、ボクササイズを知ってからは、ストレス発散になると大人になってから趣味として続けられています。
また、保育士という職業柄、子どもたちと走ることで、運動されています。
私は歩くのが好きです。
ヨガやダンスも好き。
だけど今でもボール投げは苦手です。
それぞれが、体育の授業がいやだった理由はあるのでした。
多感な年ごろの子どもにとって、周りの目はとても気になります。
人には、得手不得手があるのに、皆の前で恥をさらされる方法で「嫌々させられました」という意見が多かったです。
そのトラウマがさらに輪をかけ、周りに「運動が出来ない子」というイメージを早々に植えつけられる事になってしまったという事が多いように思いました。
このやり方だと、体育の授業が嫌いになってもおかしくありません。
ヒャダインさんによると、「体育科教育」に掲載されたエッセーで体育の授業は苦手な子に「惨めな劣性の烙印」を押し、「体を上手く動かせる人間」にこの感覚は分からないという事です。
体育教師に「根底の差別意識がある限り何も変わらない」という事。
運動が苦手な子に対して「運動が出来ない子」とレッテルを貼るのではなく、身体を動かすのは楽しいんだと思える体育の授業があればいいなと思いました。
運動だけでなく、経験した事がない人に、当事者の気持ちを理解してもらう事は限りなくゼロに近いと思います。
じゃあ、どうすればいいのか?
それは、相手に寄り添う事。
人の気持ちを分かろうとする事が大切なのだと思います。
どんな事でも分からないなりに、寄り添える人が増えたら良いな。
生きにくい世の中だからこそ、心からそう思いました。