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【菜食主義者】のあらすじとネタバレ感想 ハン・ガン 

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ハン・ガンの作品の登場人物は、だれもが心の傷に苦しんでいます。

私は、ある人の一部をみたり聞いたりしただけで、簡単に「こんな人」と決めつけてしまう事があります。

この本を読んで自身や他人と真摯に向き合うことを学んだ気がします。

 

菜食主義者のあらすじ

ごく平凡な女だったはずの妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく姿を見つめる夫(「菜食主義者」)、

 

妻の妹・ヨンヘを芸術的・性的対象として狂おしいほど求め、あるイメージの虜となってゆく姉の夫(「蒙古斑」)、

 

変わり果てた妹、家を去った夫、幼い息子……脆くも崩れ始めた日常の中で、もがきながら進もうとする姉・インへ(「木の花火」)

 

3人の目を通して語られる連作小説集

菜食主義者 - CUON

 

友人に紹介された本は初め短篇小説かと思い、何も考えず気軽に読み始めたら、一気にのめり込んでしまいました…

 

菜食主義者】ハン・ガン

韓国の小説家。

2024年にアジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞されました。

 

「人間の残酷さと尊厳」の両極を見つめ、死者と今を生きる者を対話させ、それでも消せない愛の光を糸でつなぐ。

ハン文学を貫くテーマだ。

毎日新聞記事より抜粋)

 

菜食主義者

何の変哲もない(ように見える)ごく普通の主婦「ヨンヘ」。

 

ある日夢を見たと突然肉を食べなくなってしまいます。

 

最初は、なんだか訳が分からなかったのですが、だんだんと背景等が見えてきます。

 

無言の圧力で支配していた夫。

 

自分の殻の中に閉じこもって家族やパートナーと通じ合う事が出来ない人は、何らかのトラウマを抱えているのかもしれません。

 

健康で食べることが大好きだったヨンヘも、周りから見ると何の問題もなく、その時々で、何気ない言葉をかけられ、その一言一言に傷ついていたのかもしれません。

 

 

光りと水だけで生きている木になりたいと思う。

 

それは、人間の欲望、怒り、憎しみ、心の着ずに振り回され葛藤する「獣」である人間の世界から抜け出して、そういったものと無縁の植物になるということ。

 

壊れていくヨンヘを、それぞれの家族から見た感覚が生々しかったです。

見放す夫や両親、魅せられる義兄、何とか寄り添いたいと思う姉。

 

私は特に、妹を想う姉の章を読むのが辛かったです。

 

蒙古斑

息子の蒙古斑から、ヨンヘの臀部にも蒙古斑がまだ残っているかもと妻から知らされ、異常に興味を示す義兄。

 

アーティストでもある義兄はそんなヨンヘにモデルになってもらい、一家はますます破滅の道へと進んでいきます。

 

義兄がやった事は理解出来ませんが、アートとしてあの時、植物に少し近づけたと思うヨンヘをそっとしておいたら、どうなったんだろうと考えてしまいます。

 

木の花火

順調だった日常生活が、脆くも崩れはじめていき、もがきながらも必死に進んでいく姉の姿は読んでいて辛いものがありました。

 

生きるということは不思議なことだと、その笑いの末に彼女は考える。

何かが過ぎ去った後も、あのおぞましいことを経験した後も、人間は飲んで食べて、用を足して、体を洗って、生きていく。

ときには声を出して笑うことさえある。

 

辛く、胸が張り裂けそうな気持ちでも、人間は忘れる生き物です。

だから、生きていける。

それでも、なるようにしかならない事を受け入れることは、とても辛いことだと思っています。

 

ヨンヘとの幼少期の思い出、ヨンヘの異常な行動の現在、まともに生きながらも苦悩し、憔悴していく姉。

 

 

今の苦痛は、幼少期の傷や不幸な家族史によって前景化される。

これは著者の最も大きなテーマである実存の問題を見据えるためで、家族はそのスタートラインにあるからだ。

 

同じ物を見ても「感じ方」は違います。

だれ一人同じ「こころ」を持つ事はできません。

 

たとえ家族であっても、感じ方が違うその少しの「ズレ」からやがて大きな傷となってでてくるのかも知れません。

 

心配すればするほど、かえって追い詰めてしまったりしてしまう。

 

家族の形は少しのズレでも亀裂が入るのだということ、それはどの家庭にでも起こりえること。

 

運よくその現実を知らずに過ごせた人たちは、ある意味とても幸せな人生なのかもしれません。

 

「私」は家族の中で形成され、その家族によって「私」であることを妨害される。

そうした家族に対する根源的な恐怖と、他人であるしかないという認識により作中人物の孤独感が際立つ。

 

親子でも夫婦でも家族でも他人。

自分ではありません。

 

自分の殻の中に閉じこもって人と通じ合う事が難しい人は、何らかのトラウマを抱えているのかもしれません。

 

誰が悪いとかではなく、周りの環境や性格等…色んな要因が混ざって出来たことです。

 

なので「自分を責めないで」そう思います。

 

それでも「時間は流れて」いくのです。

 




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