
成人した子供たちの会話を聞いていると結婚にも出産にも消極的です。
その理由は、「子どもを産んでも周りに協力してくれそうな人がいないから」だそうです。
彼らは、自分の事で精一杯で子供が欲しいと思っていても物価は高いし、お金と心の余裕もない上に、周りに安心して子どもを預ける場所もないので、子どもの世話を1人で育てる自信がない。ということでした。
どうして周りに協力する人がいない状態になってしまったのか?を考えてみたいと思います。
メディアや学校で吹き込まれた幸福な人間像
「社会的刷り込み」と思い通りにいかない悔しさといら立ち
SNSが当たり前の時代、インスタ等でアイドルたちが、自分に出来そうで出来ない姿を映し出しています。
特に子どもの場合、日常生活が「学校」と「家庭」に限られています。
そういった中で「手が届きそうで届かない」といった、「外との世界」のギャップに戸惑ってしまうようです。
私たちは常に、「幸せな家庭とは」とか「子どもはこうあるべき」といった内容をメディアや学校で、吹き込まれています。
社会によって「幸福な人間」と「社会をうまくまとまる」ための偶像を植え付けられた私たちは、他者と比べその通りにいかないと、(自分はだめなんだ)と自分を責めてしまうのです。
すべてを家族に負わせる日本
社会によって偶像を植え付けられている私たちに、追い打ちをかけるのが、家族の問題です。
日本は家族の問題は自分たちで解決するべきだという考え方があるからです。
何が嫌ってどこに相談していいのか分からへん。
相談したいのに、誰に聞いたらいいか分からないのほんまいらんよな。
実際私の周りでも、家庭の困りごとがあっても、最初の窓口さえ分からず、たらいまわしにされ、時間だけが無駄に過ぎる状態が多いです。
家庭の問題は家族でみるべきだという感覚が強い
日本社会はすべてを家族に負わせていると感じます。
家庭の問題は、家族で見るべきだという感覚がいまだに残っているのです。
そして、家庭の問題は家族のなかで解決するのが当然と思われているから、私たちは、他人に助けを求めにくいのだと思います。
勇気をだして相談窓口に相談しても、電話がつながらなかったり、やっと繋がっても「管轄外だから誰か周りに相談できる人に相談してね」と責任逃れでたらい回しにされ、何のために電話をしたのか分からないのが現実です。
相談できる人がいないから、電話しているのにも関わらずです。
根強く残る男尊女卑的な考え方
日本社会はすべてを家族に負わせているといった他にも、未だに日本に根強く残る男尊女卑的な考え方が残っています。
まずは簡単に家制度(いえせいど)について、振り返ってみます。
家制度は明治の民法で規定された家族制度のことです。
具体的には次のような事があったわ。
・家主は家の中で最年長の男性で権限がある
・家族は家主の命令に従わなければいけない
・家の財産や身分は、長男が継ぐ
・結婚は家主の同意が必要
・妻は夫の姓を名乗り、子供を産み育てる
・家主は家族全員を養う義務がある
・男系の子孫を存続させる
家制度は廃止されましたが、未だに根強く残っている部分があります。
例えば、「長男だから」「夫は外で働いて妻は家を守る」とか
「結婚の際は男性の姓を名乗る」もあるわ。
垣谷美雨さんの「墓じまいラプソディ」にこんなセリフがありました。
男はみんな最初だけ調子ええこと言うんだわ。
でも結局は嫁に押し付けて知らんぷりする。
盆やお彼岸になると分かるよ。
どこの家でも墓掃除してるのは女ばっかりだもん。
うちの旦那にしたって、一回も墓掃除したことないもんだから、墓掃除なんて簡単にちゃちゃっとやれると思ってる。
案外と重労働で腰を傷めるんだけどね。特に田舎の墓所は広いから。
悟と結婚したら、それらの役割が私に回ってくるらしい。
目に見えない檻に入れられた様な気持ちになった。
未だに選択的夫婦別姓が実現できない現実
結婚後、女は当然男性の籍に入ると思っている男性も多いようです。
結婚したら「悟の妻」というより「中林家の嫁」となるらしい。
悟と悟の両親の図々しさと鈍感さは、自分の育った環境とはかけ離れている。
そんな風に言われたら、(私より自分の親の気持ちを優先している。)って思います。
日本では選択制夫婦別姓のデメリットとして、次のような理由があげられています。
相続権
夫婦別姓の場合、法定相続人として認められず、配偶者として遺産を受け取ることができない。
法的な難しい問題はわかりませんが、現在事実婚があります。
事実婚は「法律婚」とは認められないので、相続権は発生しません。
けれども選択的夫婦別姓だと、この事実婚に「法律婚」としての「婚姻届け出」を役所が受理すると相続の問題は認められるのではないでしょうか。
家族の絆の弱まり
異なる姓を持つことで、家族の一体感が薄れる可能性があるんだそうです。
「そうでしたねぇ。古き良き時代が懐かしいですなぁ。あの頃は絆が強くて、みんな助け合って暮らしていたもんですよ」
(中略)
「あんた、何を言うとるの、何も知らんくせして。絆どころか近所づきあいなんか鬱陶しくてたまらんかったわ」と姉がばっさり切り捨てた。
実際に家庭の事をやっていない男性ほど、形だけの絆を大切にしているように思います。
そういえばさ、同窓会に行こうとしたとき、旦那が『食事くらい作ってから行け』と怒鳴ったことあったわ
それって日頃から上下関係があるってことやんな
団塊の世代家庭では、ちょっと出かけるだけなのに、夫の食事を用意して出ていかない家庭がいまだに多いと感じました。
女性に結婚と出産をさせようとする政策
出産すると出産育児一時金の支給額 1児ごとに50万円など、以前より少しだけ上乗せされた金額など、政府や社会は、少子化について女性に結婚と出産をさせようという政策ばかりを繰り返しているように思います。
若い女性たちは、自分の意思をもって選択しています。
出産後全ての責任を負わされる国で、子どもを産みたいと思えません。
子どもを産みたいと思えるような社会にするために
社会全体で考えていく
子どもでも大人でも、自分ではどうしようも出来ないことがあります。
ベビーカーを押しているだけで、見知らぬ人に文句を言われる社会。
1日に何回も「すみません」と言わなければならない肩身が狭い毎日。
そんな時、「あなたたちの問題でしょ」と突き放されると自分が悪いんだと思いがち。
それは、決して自己責任ではないということ。
「あなたが悪いのではないんだよ」と言ってあげることが心の支えとなります。
関係性を考える
世間が子どものことを真剣に考えていないから、お母さんは肩身が狭くなる。
そして子どもは、そんな母親を見ているから、自分は社会のなかで、「すみません」と言われなければならない邪魔な存在だと思うようになるのです。
大人は子どもがSOSを出した時に、真剣に向き合わないことが多いです。
そのことを教師や周りは知っていても「仕方ないね」と終わってしまうこともあります。
そうなると「言っても仕方がない」となり、希望を失ってしまうのです。
私たちはもっと、子どもと向きあい、子どものサインに応えてあげないといけないのです。
【子どもを産みたいと思えない】社会のまとめ
表向きは伝統や文化といった事を盾にして、現実は女性が男性に従属すべきだといった考え方が未だ日本にはあるんだと思います。
偶像を植え付け、家庭の問題は家族で解決させ、調和優先社会で上手くバランスをとる。
責任を取りたくないから、個人の責任にする社会。
子どもを無力の存在とか、母親をないがしろにしたり、弱者の声を見て見ぬふりをするということがない様に、私も含め1人1人が心の声に耳を傾け動ける社会になると、安心して生活ができます。
自分らしく生きられる環境が出来るように、結婚と出産ばかりさせる政策をしている政治ではなく、安心した生活を送れるような政策を考えて欲しいと思います。
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