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【君に光射す】あらすじとネタバレ感想小野寺史宜

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小野寺さんが書く主人公は真面目で勉強も出来て優しい人が多い。俗にいう「良い人」

だけど少し不器用で傍から見たらちょっと(変わってる人)とみられがち。

色々あって、つい人との関わりを避けがちになるけれど、それでも周りの人がやさしくて「ようし、もういっちょやるか」みたいな気持ちになれる所が温かくて好きなんだなぁと思います。

 

【君に光射す】あらすじ

僕は三年前に小学校の教師を辞めた。昼の世界から逃げ込むようにして選んだ仕事は夜勤の警備員。他人と深く関わらずに生きようと決めていたはずだった。でも、勤務先で置引未遂を犯した10歳の少女との出会いが、立ち止まっていた僕を動かして……。自分を犠牲にしてまで誰かを助けることは愚かなことだろうか?本屋大賞第二位のベストセラー『ひと』の著者が贈る、ひとりで頑張ってしまう人への応援歌!

双葉社

祖父母に大学まで出してもらった僕は、小学校の教師になった。東京で1人、生きていくために選んだ仕事。

けれども、29歳のある日、ある出来事から教師を辞めることに…

そして人との関わりを避けるように夜勤の警備員に転職。

不規則な生活にもなんとか慣れてきたときに、ある女の子がおばあさんのかばんを盗るところを目撃してしまう。

【君に光射す】作者

1968年、千葉県生まれ。2006年「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール讀物新人賞、08年「ロッカー」で第3回ポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。ひたむきな青年の姿を描いた『ひと』が19年本屋大賞第2位となりベストセラーに。著書に『まち』『いえ』『ホケツ!』『家族のシナリオ』『夜の側に立つ』『とにもかくにもごはん』『レジデンス』「タクジョ!」シリーズ「みつばの郵便屋さん」シリーズなど多数。

双葉社

 

【君に光射す】名セリフとネタバレ感想

今回も気になったセリフから思ったことをネタバレで書いていきます。

 

主人公が巡回をしている時、ふと1人でいる女の子をみかけます。

女の子といっても色んな女の子を想像してしまいます。

ここに女の子の説明が付きます。

長袖のシャツに丈が短めのパンツ、という私服姿。髪は肩まで。結べるほど長くはない。マスクは着けている。どう見ても小学生だ。

それをヒントに自分だけの女の子の人物像が出来上がります。本読む醍醐味の1つ。

自分だけの登場人物を想像するのは結構楽しい。

 

プレステ2が出ていたころだ。ぼく自身は持っていなかった。買ってもらえなかったというよりは、買ってと言い出せなかった。

家庭の事情もありますが、親に遠慮する子。言い出せない子。言い出せない雰囲気がある等々。色々あります。

こんな時の親の対応は家庭によって異なりますが、我が家の場合、初めは買わなくても、誕生日か何かで買っていました。

それが正しかったかどうか未だにどう対応したらいいのか分かないでいます。

 

カラスがくるみを車に轢かせて殻を割り、なかの身を食べる。という動画をみたことがある。頭がいいのだ。実際七歳児ぐらいの知能を持っているらしい。

 

以前カラスに袋がまだ開いていなかったお菓子を食べられたことを思い出しました。

潮干狩りに夢中だった私達は、砂浜に敷かれたシートの上に荷物と後で食べようと用意していた新しいお菓子の袋を置いていました。当時は平日で少し肌寒かったこともあり、周辺には誰もいなく、私達だけ。

海から戻ってきた際、開いていないはずのお菓子の袋は器用にくちばしで開けられたようでした。

ずっと私たちの様子を空の上から観察していたんだなぁと思うと腹が立つのを通り越して関心してしまいました。

 

主人公が小学6年生の時に母親が亡くなり、祖父母に引き取られたのですが、当時伯母夫婦が主人公を引き取らなかった理由を祖父母の葬儀の時に伝えられるシーン。

「伯父さんはね、圭斗はウチが引きとるべきじゃないかって言ったのよ」

「有恵が圭斗を預けにきたとき。じいちゃんとばあちゃんに押し付けるのはよくないんじゃないかって。押し付ける訳じゃないと言って。それでちょっとケンカになったりもして」

「圭斗は甥っ子だからね。もちろん、かわいいのよ。でも智春とまったく同じに扱える自信はなかったの。自分が育てるとばあちゃんが言ってくれてよかったと思ったのは確か」

小学6年生のときにそんな事言われたらショックですが、伯母さんはそれを今言う。伯母なりの優しさが伝わってきます。私も同じ境遇だとしたら、伯母と同じ事をしたのではないかと思います。

 

幼い頃を回想する主人公。

一週間母親が帰って来なかった日。母が帰るのをひたすら待つ主人公。

母はもう帰ってこないかも、という悲観と、いや、そんなはずないよ、という楽観が口語に来た。悲観九、楽観一、の割合で。

大人でも不安です。事故や事件に巻き込まれたのかとか、悪い方の心配ばかりしてしまいます。いつ帰ってくるか分からない母親をたった一人で待つというのはどれだけ辛いことかと思うと胸が痛みます。

いつまで待てばいいのか、そのいつが分かっていないと、不安は増すのだ。

先が見えないのはとても不安になるんですよね。

 

祖母のお葬式の後、従兄に駅まで送ってもらう主人公。

教員を辞め、警備会社に転職した時の反応を従兄に聞いてみるシーン。

「圭斗が幸せならそれでいい。だけかな。おれが聞いたのは」

その人の事を想うなら、親や祖父母はその人の幸せを心から望むと思います。

たとえそれが周りからすると勿体ないと思う事であっても。

 

小野寺さんは人の気持ち(心の中でつぶやく)感情を言葉で表現するのがとても上手い。読んでいて(そうそう、そうなんだよな~言えないけど)と思わず声に出してしまうほど。その感情はどの本も私に似ています。

 

教員だった頃の主人公が遠足に引率する時の回想シーンでは、子供達のウソがない笑顔に癒されます。

読んでいるこちらも嬉しくなるし、子供たちがいう「おじさん」の定義にはいろんな意見があるものだ。と改めて思いました。

 

電車に乗っていると、自分勝手の人がする行動は嫌な気分にさせられます。

誰かが隣に座ると、はじかれたみたいに席を立ってほかの車両にいっちゃうの。降りるからっていうわけでもなく

コロナ禍の時、マスクをしていてもこんな感じ。

「座った人にも後めたさはあるし、立った人にもそれはある。いいことが何もないんだよ。座った人も、それで、座れてよかったとは思えないだろうし。社会全体がそう。人に対して余裕がなくなっちゃうんだよね」

人に対して余裕がなくなると、良い事が何もないという事実。

 

主人公が教師時代の頃、隣のクラスの担任が、やる気はあるけれど勉強の理解が遅い子に対して放課後その子に勉強を教えることが続き、その行為に対して保護者からクレームが入り、校長が隣の担任に注意するシーン。

「これは杉原先生のためでもあるんですよ。特定の自動をひいきする教師というレッテルを貼られたら、保護者どころか児童は誰もついてきません。そんな理由で学級崩壊を起こしたクラスを私はいくつも見てきています。そういうことは起こります。案外簡単に起こりますよ」

話が飛んだ。それはまた別の話だ。

成岡校長はたまにこれもやる。話を匠にすり替えて、正論を持ち出す。そうされると、反論はできなくなる。

ハッとしました。

これって、多くの人がすることじゃないのかなぁと思いました。

立場が強い人が立場が弱い人に発する。

「今その話じゃない」のに正論で押し切ってしまう。

私もやった事があるし、されたこともあります。

過去には戻れないけれど、これからはそうしないように気をつけようと常に思っています。

 

隣のクラスの担任と飲みに行った時の会話。

「ぼくは何もできてないなぁ、ちゃんとしなきゃなぁって、どうしても思っちゃうんですよね」

十人十色と言いますが、親子であっても夫婦であってもその人たちが同じ物を見ても聞いても何をどう感じているかなんてわかりません。

小学校のクラスを受け持つ担任の先生も、子供たち、その保護者全員にこちらの意図を適格に伝えることはできません。

どの仕事もそうですが、まじめで責任感が強い人ほど、病んでしまうことになってしまいます。

そうならないように、自分を大切にして欲しいと心からそう思いました。

そんな時に主人公が言う言葉

「無理に続けようとしなくていいんじゃないかな」

「つぶれるまでががんばらなくていい。本当に無理ならやめればいい。教師を、じゃなくて、仕事を、やめればいい。そんなつもりでやってもいいんじゃないかな。教師を特別なものと考えなくていいんでしょ。だから気楽にやってもいいとかそういうことでもないけど。1つの仕事として見ることも必要だと思うよ。実際、仕事は仕事なわけだし」

こう言ってくれる身近な人がいるといいですね。

家族に言えない事でも友人や同僚で信頼人がいる。そんな感じ。

勿論、家族にでも言える居場所があれば良いと思います。

ちょっとした会話、息抜きは絶対必要です。

 

そんな会話を読んでいて、主人公はどうして教師を辞めてしまったんだろうと謎が深まります。

 

物語の後半、主人公がマッチングアプリで知り合った看護師とのシーン。

実の父親でない男性に頭を叩かれているかもしれないと虐待を疑う主人公に、2つの見方があるという。

1つめはこう。

「それだって分からないよ。頭を叩いた音かなんて、看護師のわたしでも聞き分けられない。頬とか腿とかを平手で叩いたんなら分かるかもしれないけど。まあ、仮に頭を叩いたんだとしてね、それはもちろんよくないことだけど、そうなっちゃんことも、あるんんじゃない?家庭内でなら、たまにはそういうこともあるでよ。つい手が出ちゃったっていうようなことは」

そして2つ目。

「ここからはもう1つの見方。虐待はね、実際、結構あるよ。なかには本当にひどいうのもある。看護師をしてれば、そんな子を目にすることもある」

人の受け取り方はその人によって違います。先入観もある。だから見分けるのはとても難しい。

主人公は遠いにいても、たすけられなきゃいけない人のことは、たすけるべきなんじゃないかと話します。

 

以前読んだ本でも似たような感じの事が書いてありました。

jibunnnoikikata.hatenablog.com

そんな主人公に看護師である果子は、どうして教師を辞めたのか聞くのでした。

 

教師時代の主人公は、担任を受け持つ児童のシングルマザーの吉井舞奈が執拗につきまとう同級生に対して主人公に相談し、彼氏を装ってもらったことが原因。

 

主人公にしてみれば善だったが、周りから見れば悪。結果教師を辞める。

「善」と「悪」

良かれと思ったことが悪い結果を生んでしまう。じゃあ、悪気があって悪い結果と同じことなんだろうか?

正義ってなんだろう?

 

主人公は自分がとった行動に後悔はありません。

最後はこんな言葉で終わります。

人には光があり、陰もある。

どちらも同じ人のなかにある。それは変えられない。

せめて光に優勢を保たせる努力ぐらいはするべきかもしれない。

動けば光も射す。

ちょっとした事でもいいから行動に起こそう。

そう思いました。

 

 




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