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【ある男】あらすじと感想 平野啓一郎 文藝春秋

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自分の夫が別人だったって、どういう事!?

頭の中は、「はてなマーク」でしかありません。

ならば、どういう話か読んでみようと手に取りました。

 

【ある男】あらすじ

愛したと思っていた夫が別人?

 

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から「ある男」についての奇妙な相談を受けます。

 

宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で亡くし、最初の夫とは子育ての相違で別れた過去がありました。

 

長男を引き取り、14年ぶりに故郷へ戻った里枝は「大祐」と再婚し、生まれた女児と幸せな家庭を築いていました。

 

そんなある日、「大祐」が仕事中の事故で亡くなってしまいます。

 

しかし、「大祐」と名乗ったその男は本当の「大祐」ではありませんでした…

 

【ある男】作者:平野啓一郎

1975年生まれ、愛知県出身。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2019年には『マチネの終わりに』が映画化。『ある男』は『マチネの終わりに』の後継作品として発表された作品であり、読売文学賞を受賞するなど平野啓一郎の新たな代表作との呼び声が高く、現在は累計28万部を超えるベストセラーとなっている

映画『ある男』公式サイト | 11月18日(金)全国ロードショー

 

【ある男】感想

弁護士の城戸を主人公にし、「ある男」を探っていくお話。

 

テーマは「愛」

 

いつものことながら、「私とはいったい何なのか?」「家族とは?」と考えさせられます。

 

昔慣れ親しんだ町を、経験と歳を重ねるごとにみる風景とは違って見えるのも不思議です。

 

若い頃、何気に見ていた風景は、一緒に見ていた人や出来事によって180度変わって見えたりするものなんだと、読みながら自身の経験と重ねながら感じました。

 

人によりますが、何かをきっかけに、自分の中のモヤモヤしたものが、もう元に戻せない位壊れてしまっていることに気づいた時、出来るだけ遠くにいって、何もかも変えてしまいたい。

自分を知っている人に会いたくないというように、人にはその人が抱えている問題があるのかもしれません。

 

そう思っていることに気づく事が出来る人は、少ないと思います。

 

ある人は、リスクを背負う事は白か黒しかないと思い詰める。

 

それが出来ないと、自分を責めてしまう。

 

100人いてても、考え方や感じ方は違う。

 

傍からみたら大した事ではないような事でも、自分を追い詰めてしまう。

 

(そんなに思い詰めることでもないのに)ということを考えてしまう。

 

 

ある人は、信じてやってきた事で相手を苦しめ、その信じた内容が無意味だと知った時の絶望。

 

知っていれば。と後悔してしまう。

 

子どもの成長スピードが速すぎて、「その子らしさ」というものが分からなくなる。

 

自分が思っていた聞き分けの良さだとか、我慢強さだとか、愛嬌や臆病さといった性格的な特徴とは、いったい何が本当なのか、とても不思議に思いました。

 

里枝が、強く生きなければと自分に言い聞かせるのは、いつでもこんな風に遺された子どもたちの成長に触れる時だった。

 

この言葉は親なら思うことかもしれません。

私はそう思います。

 

夫婦でも親子でも、、言いたい事をストレスを溜め込んでいると、コップに注がれた一杯の水のよう。

 

どちらかが、さっと一口で飲み干してしまえばいいものの、あまりにも長く置きっぱなしにしておくと、そもそももう飲めないのではないかという感じ。

 

そしてそのコップにひとかけらの氷が落ちた時、そう、毒でも何でもない、ただの氷だけれど、その分、溢れてしまった部分は、記憶としていつまでも残ってしまう。

 

幸せな記憶だけ残ればいいのに。。と思うけれど、辛い記憶がなければ経験として乗り越えていく事ができない。

人の感情というものがいつまでも分からないままでいることになってしまう。

 

「死」について

死の恐怖は、城戸にもあった。死ねば、その瞬間から、微塵の遅れもなく、この意識は絶たれ、その後二度と何も感じず、何も考えることが出来ずに、ただ時間が、生きている者たちのためだけに滞りなく過ぎていくことに、完全に無関係であり続ける。

 

人の温もりを感じるたびに、(あ~私たちは今生きているんだ)と思います。

その温もりを忘れないようにしたい。そう思います。

 

自分とは

主人公は、自分とは何かを考えるのではなく、自分とは何だったのかという、どういう人間として死ぬのかということを意識するのですが、後に残された者の記憶にどんな人間として記憶に残るかを考えると、自分が思うほど、相手がそう感じていなければ、自分というのは、いったい何だったんだろうと考えてしまいます。

 

 

辛い経験をした子どもを見るのは親として辛いものがあります。

 

 

里枝が思う気持ち、子どもたちが思う気持ち、里枝の母が思う気持ち、城戸が思う気持ち、それぞれの思いは違います。

 

それは、本を読んでいて思うことであって、実際にその人物と接しているとまた感じ方は違います。

 

寄りそうということは、一緒にその人の事を想う。

辛いねと一緒に泣く等々。

 

現実で他人だとその場でどうすれば一番いい方法なのか分かるのに、家族など近ければ近いほど、私は未だに分からないままでいます。

そう思うとその人に対して、心から寄り添えていないのかもしれないのかなと思ってしまいます。

 

里枝は自身が辛い思いをして、息子や娘に対してもそっと寄り添えている気がしました。

 

そんな里枝だから、短い間だったけれど「ある男」もごく普通と言われる幸せな生活を送れたのではないかと思いました。

 

そして城戸が出会った本物の「大祐」の事を感じる気持ちは私も同じでした。

人間の奥底にある本心が現れでて、少し怖かったように感じました。

 

 

平野啓一郎さんの本

 

 

 

あの時こうしていたら、運命は変わった?【富士山】

 

jibunnnoikikata.hatenablog.com

 

 

人間の本心はたとえ家族であっても分からないと思う。【本心】

 

jibunnnoikikata.hatenablog.com

 

 




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