5月27日、佐竹義宣、東義久、宇都宮国綱らが石田三成・増田長盛を通じて秀吉に拝謁し、三成の軍事指揮下に入る。前回採り上げたように、彼らは下表のように秀吉のみならず三成・長盛にも金品を献上していた。
(包紙ウハ書)
「 羽柴柳川侍従とのへ*1 」
態染筆候、小田原表之儀、弥丈夫二仕寄等被仰付候、依之城中夜を日二継及難堪、欠落之輩雖有之、於其場被加御誅罰候、又ハ被追返躰ニ候間、上下被為干殺を相待迄候、①昨夜上野国和田*2家来之者百余、家康*3へ相理*4、小屋〻*5ニ火を付、走出候、雖可被加御誅罰候、兼家康へ心合セニ候条、被助置候、次東八州*6之儀、城〻悉請取候、其内岩付*7・鉢形*8・忍*9・八王子*10・付井*11、何も命を被相助候様にと、北条安房守*12御侘言*13申上候へ共、不被入聞召、右之内武州岩付ハ北条十郎*14居城候、八州にてハ用害*15堅固之由被及聞召、可然処ゟ先可責干之旨被仰付、則去月廿日木村常陸介・浅野弾正*16・山崎*17・岡本*18、家康内本田*19・鳥井*20・平岩*21二万余を以、岩付へ押寄、外溝共ニ則時ニ乗破、千余討捕之、本城一之門*22ニ相付候、②然者城中可然者大略討死候て、残居者町人・百姓、其外女子類迄候、十郎者小田原ニ在之間、命之儀被助候様にと申上之条、城請取儀被仰出候、十郎妻子初而悉召籠*23候、八州之城〻小田原ニ籠城之者共、妻子何も右之分候、其段小田原城中へ相聞、弥令迷惑*24無正躰*25由候、安房守儀不打置*26、命を被成御助候様にと歎*27申、既鉢形へも越後宰相中将*28・加賀宰相*29・浅野・木村を初而、五万余被差向候、③忍城へハ石田治部少輔*30ニ佐竹*31・宇都宮*32・結城*33・多賀谷*34・水谷*35・佐野天徳寺*36被相添、二万余ニて可取巻旨雖被仰出候、眼ニ仕候岩付城被加御成敗上者、命計相助、城可請取旨被仰遣候、奥両国*37面〻不残致参陣候、其内伊達*38参上候、彼於手前*39之儀ハ、此比*40押領之知*41可仕返上旨、堅被仰出候、及御請候儀被相究、可被成御対面候、猶吉左右*42重而可被仰聞候也、
六月八日*43 (朱印)
羽柴柳川侍従とのへ
(四、3266号)(書き下し文)わざと染筆候、小田原表の儀、いよいよ丈夫に仕寄など仰せ付けられ候、これにより城中夜を日に継ぎ堪えがたきに及び、欠落の輩これあるといえども、その場において御誅罰を加えられ候、または追い返さる躰に候あいだ、上下干殺しさせらるるを相待つまでに候、①昨夜上野国和田家来の者百余、家康へ相理り、小屋小屋に火を付け、走り出で候、御誅罰を加うらるべく候といえども、かねて家康へ心合せに候条、助け置かれ候、次いで東八州の儀、城々ことごとく請け取り候、そのうち岩付・鉢形・忍・八王子・津久井、いずれも命を相助けられ候ようにと、北条安房守御侘言申し上げそうらえども、聞し召しに入れられず、右のうち武州岩付は北条十郎居城に候、八州にては用害堅固の由聞し召しに及ばれ、しかるべきところゟまず責め干すべきの旨仰せ付けられ、すなわち去る月廿日木村常陸介・浅野弾正・山崎・岡本、家康内本田・鳥井・平岩二万余をもって、岩付へ押し寄せ、外溝ともに則時に乗り破り、千余これを討ち捕り、本城一之門に相付き候、②しからば城中しかるべき者大略討死に候て、残り居る者町人・百姓、その外女子の類いまでに候、十郎は小田原にこれあるあいだ、命の儀助けられ候ようにと申し上ぐるの条、城請取りの儀仰せ出だされ候、十郎妻子はじめてことごとく召し籠め候、八州の城々小田原に籠城の者ども、妻子いずれも右の分に候、その段小田原城中へ相聞え、いよいよ迷惑せしめ正躰なき由に候、安房守儀打ち置ず、命を御助なされ候ようにと歎き申し、すでに鉢形へも越後宰相中将・加賀宰相・浅野・木村をはじめて、五万余差し向けられ候、③忍城へは石田治部少輔に佐竹・宇都宮・結城・多賀谷・水谷・佐野天徳寺相添えられ、二万余ニて取り巻くべき旨仰せ出だされ候といえども、眼ニ仕り候岩付城御成敗を加えられうえは、命ばかり相助け、城請け取るべき旨仰せ遣わされ候、奥両国の面々残らず参陣致し候、そのうち伊達参上候、彼手前の儀においては、この頃押領の知返上仕るべき旨、堅く仰せ出だされ候、御請に及び候儀相究められ、御対面なさるべく候、なお吉左右重ねて仰せ聞けらるべく候なり、
(大意)手紙にて申し伝える。小田原城前は、ますます頑丈に仕寄などを拵えるように命じた。これによって小田原城中は夜が明けて日中になることを耐えがたく思い、欠落する者たちが出ても、その場で殺害するか、または城内へ追い返されるさまで、身分の上下を問わず干殺しになるのを待つだけである。①昨夜は上野国の和田信業の家来百余人が、家康へあらかじめ討ち合わせたとおり、小屋小屋に火を付け、城外に逃げてきたところを誅罰すべきではあるが、かねてより家康と内通していたので、助命することにした。次に関八州の件について、請け取った各城のうち岩付・鉢形・忍・八王子・津久井、いずれも助命して欲しいと、氏邦が申し出てきたが、容認することはしなかった。右の城のうち武州岩付城は氏房の居城で、関八州の城の内もっとも堅固で、然るべき(陥落させやすい)城から攻め落とすように命じ、5月20日木村常陸介・浅野長吉・山崎片家・岡本良勝、家康家臣の本多忠勝・鳥居元忠・平岩親吉ら二万余の軍勢で、岩付へ押し寄せ、すぐに外堀を乗り破り、1000人あまりを討ち捕り、本城一之門に迫ったところである。②したがって城中の大方の者は討死に、城内に残る者は町人・百姓、その外女子の類いだけになった。氏房は小田原城中に立て籠もっているので、妻子の命ばかりはお助けを申すので、城の請け取りを命じ、氏房の妻子をはじめことごとく召し籠めた。関東の城々や小田原に籠城の者ども、妻子がいずれも右のように捕らえられたので、その旨小田原城中へも伝わり、いよいよ困窮極まり前後不覚になったとのことである。氏邦の件は放置せず、命をお助けくださいと哀願し、すでに鉢形へも上杉景勝・前田利家・長吉・常陸介をはじめ、軍勢五万余を差し向け、③忍城へは三成に佐竹・宇都宮・結城・多賀谷・水谷・佐野天徳寺ら関東の者たちを従えさせ、二万余の軍勢で包囲するよう命じたところではあるが、岩付城を落城させたのちは、命ばかりは助け、城を請け取るべきと命じた。奥羽両国の者どもは残らず参陣したが、政宗も近日中に参上する。彼の領土の件については、最近「押領」した土地を返上するよう、堅く命じた。承諾した上で対面することになるだろう。なお吉報を待たれよ。
①は「誠意を見せる」ために自軍の軍事施設である「小屋」を焼くことが降伏の姿勢を見せる手段だったことをうかがせる。砲台などではなく単なる「小屋」に過ぎなくとも雨露が凌げれば兵士を収容することが出来るので、軍事力を削ぐ効果が期待できる、一種の焦土作戦と言える。
②はこんにち周知のことに属するが、多くの非戦闘員も籠城していたことである。郷村に留まれば乱取りの対象になりかねないからで、領民の保護は領主の務めでもある。
③は三成が佐竹氏をはじめとする関東の諸大名を軍事指揮下に置いていたことを物語る。「取次」や「指南」には軍事指揮権も含まれていたことになる。
図. 天正18年関八州の情勢

表. 佐竹氏らの秀吉・三成らへの贈答一覧

*1:立花宗茂
*2:信業、上野国群馬郡箕輪城主。下図参照、以下同じ
*3:徳川
*4:ことわり、あらかじめ了解を取り付けておく
*5:自軍の軍事施設。「日葡辞書」には「小屋を掛くる/小屋掛けをする」で「戦争の折に兵士がするように、野外に幕舎をつくる」とある
*6:関八州のこと
*7:武蔵国埼玉郡
*8:同国大里郡
*9:同国埼玉郡
*10:同国多摩郡
*11:相模国津久井領。なお中世末までは「愛甲郡」、近世では「津久井県」と呼ばれた
*12:氏邦。鉢形城主
*13:ここでの「御」は秀吉に対する敬意表現
*14:太田/北条氏房
*15:要害。砦のこと
*16:長吉
*17:片家。近江国犬上郡山崎城主
*18:良勝。伊勢国鈴鹿郡峯城主
*19:本多忠勝
*20:鳥居元忠
*21:親吉
*22:城の一番表にある門
*23:めしこめ。監禁すること
*24:「迷惑」は自分自身が困窮する、困るの意。今日のように「他人に迷惑を掛ける」ニュアンスは乏しい
*25:正常ではなくなること
*26:うちおく。放っておく
*27:懇願する、哀願する
*28:上杉景勝
*29:前田利家
*30:三成
*31:義重。常陸国久慈郡太田城主
*32:国綱。下野国河内郡宇都宮城主
*33:晴朝。下総国結城郡結城城主
*34:重経。常陸国真壁郡下妻城主
*35:勝俊。同国同郡下館城主
*36:房綱。下野国安蘇郡唐沢山城主
*37:「道の奥」で東山道の奥にある陸奥と出羽両国の意味
*38:政宗
*39:領地、領域
*40:「比」は「頃」と同じ文字で「このころ」と読む
*41:前年に蘆名義広から奪い取った会津領のこと。秀吉による「惣無事」に反した私戦と見做されたことによる
*42:キッソウ。吉報
*43:天正18年、グレゴリオ暦1590年7月9日、ユリウス暦同年6月29日