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天正18年5月20日浅野長吉・木村常陸介宛豊臣秀吉朱印状(2)

 

 

 

 

一、大軍を被召連、八ヶ国*1之内四五ヶ国持候北条*2を、日本五十ヶ国余之国の者として可刎首儀ハ勿論にて候か、其上関白被出御馬候てハはね能*3しめ能*4狂哥*5迄無之候てハ、御馬をハ被治間敷候条、其分別可然候事、

 

(書き下し文)

 

一、大軍を召し連れられ、八ヶ国のうち四・五ヶ国持ち候北条を、日本五十ヶ国あまりの国の者として首を刎ねるべき儀は勿論にて候か、その上関白御馬出でられ候ては、はね能・しめ能・狂哥までこれなく候ては、御馬をば治めらるまじく候条、その分別しかるべく候こと、

 

(大意)

 

*「召し連れられ」、「御馬出せられ」など尊敬の助動詞「被」(らる)は秀吉に対する敬意である点に注意されたい。「大意」では自然な日本語になるようにこれらの敬意表現は考慮しない。

 

 

一、大軍を率い、関八州のうちたかだか四五ヶ国を支配しているに過ぎない北条氏直を、日本の五十ヶ国余りを領有している者の務めとして討ち取ることはもちろんのこと、関白である自分がわざわざ出馬してきている上は、はね能・しめ能・狂歌すら楽しめない状況であるわけだから、自分の馬を都に戻らせるわけにもいかない。そのあたりの事情をよく理解しなさい。

 

 

 

 

「はね能」とは田遊びや田楽といった農耕儀礼だったが、農耕民自身が行うというより時代が下るにつれ専業の「芸能者」が担うようになっていった彼ら彼女らが「職人」と認識され、また百姓たちからは次第に蔑まされるようになっていった。

 

こうした農耕儀礼は今日では廃れてしまっているものもあるだろう。参考までにいくつか写真を掲げておいた。

 

図1. 16世紀に成立した「月並風俗図屏風」より「田植囃子」

 

               『日本の美術 17』 第2版、口絵2、平凡社、1980年より

図2. 島根県那賀郡三隅町黒沢の田植囃子

               『日本の民俗』 32 島根県 196頁 第一法規出版 1973年

図1. 因播・出雲の田植囃子

         『日本の美』 第13巻 (中国 第2)、121頁、国際情報社、1968年



下線部では50ヶ国余りを統治している関白秀吉が、たかが関八州のうちの四五ヶ国を支配しているに過ぎない小田原北条氏の首を刎ねることは当然の義務であると、浅野長吉・木村常陸介両名に強調している。秀吉がヨーロッパ世界の「正戦」*6概念を知っていたとは思えないが、彼なりに「正しい戦争」と「正しからざる戦争」=「喧嘩」の区別はしていたようだ。

 

 

*1:関東八ヶ国=関八州。すなわち武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸

*2:氏直

*3:田遊や田楽躍など豊作を祈願する神事芸能

*4:未詳

*5:「歌」の異体字

*6:bellum iustum




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