私にとって母は謎である。
26歳で家を出るまで一緒に暮らしてはいたが、よくわからなかった。今もよく分からない。
母の生年月日で占ったりしても結果が当たっているのかよく分からない。
仲が悪かった訳ではない。むしろよく話していたし、学生時代など交換日記をしていたこともあった。でも今思えば私が話を聞いてもらっていただけで、母の話を聞くことは稀だった。
その数少ない話も主に出来事の説明で、その時どう思ったかということはあまり話さない。その時々漏らす感想もなんとなく本当にそう思ったのだろうかと感じるもので、母には悪いがなんとなくつまらなく、交換日記も家を出てから時折やり取りしていた手紙も途切れていった。
その違和感の理由が分からなくて、ずっとモヤモヤしていたのだが、それはおそらく母の感想が普通というか正解を目指したもので、母という人間個人の肌触りが感じられなかったからだと思うようになった。
母にとって生身の自分の気持ちを外に出すことは多分娘にも難しいことなのだ。
そういう人なので、当然怒ったり悪口を言ったりはしない。けれども一緒にいると罪悪感を感じさせるようなところがあった。
例えば母は節約家で身なりにお金をかけないが、私は服が好きで新しい服を定期的に買いたい。だから実家にいた時は、新しい服を着て嬉しくても、何年も前のくたびれた服を着ている母を前にすると自分は贅沢者なのではないかとしょげた気持ちになることがあった。
また、父などが母にキツいことを言っても一切反論をしないので、見ていてしんどい。そして父に対する憎しみがこちらに堆積していった。(もちろん父にも悪い部分がある)
そんな母を分からないと思い続けていたが、最近手に取った水谷緑さんの漫画「被害者姫」を読み、少しわかったような気がした。主人公の言動が母に似ている。
受動的攻撃を題材にした漫画で、主人公のアヤさんは言いたいことは言わないけれど、健気に耐えたり、具合が悪くなったりするなど直接的ではない行動で周りをコントロールしてゆく。また積極的な決断や選択はしないので行動に責任を感じていない。
読んでいて、正直、母に限らず自分にもこの傾向はあると思ったし、身近な人の言動も思い浮かんだ。スッキリする気持ちと反省と恐怖。いろんな気持ちが湧いてウワーッとなりながらも一気に読み放心した。
ただ、作中にもあるが受動的攻撃は一概に悪いことではないという説。上下関係や親子関係などの中で立場が弱い人が抵抗する術だったりするとのこと。
しかしどんな場面でも自分を出さないのはいろんなことを崩していってしまう。
受動的攻撃の怖さと醜さがよくわかる漫画だった。
どうして母はそうなったのだろう。知りたくても何から聞けばいいのかも答えてくれるかも分からない。それぐらい母を知らないことに今さら驚く。
ひとまず私が本心を言いにくい時は何が理由か考え、言い方を考えてなるべく言う方向でやっていきたいと思った。