知識の泉
今すぐ誰かに話したくなる知的雑学
CDが74分になった本当の理由は、一人の指揮者の「遅すぎる第九」にあった
知識は力なり
かの有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは言った。
「知識は力なり」と。
この言葉には、読んで字の如く「知識は自身の力になる」という意味とは別に、「経験によって得た知識を、いかにして実践的に使用することができるのか」という意味も込められている。
雑学も同様だと思う。
実際には、生きていく上で何の役にも立たないと思われている、どうでもいい情報群。
それが雑学という分野といえるだろう。
しかし雑学で得た知識を、どのように使うのかは人それぞれ。
普段の話のネタに困っている人。
トーク力を上げたい人。
飲み会やデートなどで知識を披露したい人。
知識を吸収したいけどあれこれ調べるのが面倒な人。
そして、物事の本質や奥深さを知りたい人。
純粋に「なるほど!」と思いたい人まで。
当たり前に感じていたことも、角度を変えた視野からみることで、別の面があることに初めて気付かされる。
その知識を他人にひけらかすだけでなく、その知識をもとに、固定観念から解放され、世の中の見え方を変えようではないか。
さすれば、「知識は力なり」の言葉の意味を実感できるはずである。
同じ楽譜なのに20分も差が出る?指揮者が変える演奏スピードの魔法
クラシック音楽って、どれも同じ速さだと思っていませんか?
CDの標準収録時間が「74分」になった背景には、ベートーヴェンの交響曲第9番が深く関わっているというのは有名な話。
1980年頃、ソニーとフィリップスがCDの規格を策定していた際、当時のソニー副社長(後の社長)で声楽家でもあった大賀典雄氏が「第九が1枚に収まらなければ意味がない」と主張した。
その結果、CDの標準収録時間は「74分」に決まったという。
ここまでなら、よく知られている話。
だがその際、2つの演奏が検討材料になったというのは、あまり知られていない事実である。
なぜか?
すべてが同じ速さで演奏されていると思われがちだが、 クラシック音楽は楽譜が同じでも、指揮者の呼吸ひとつで演奏時間がドラマチックに変わるからである。
だから、指揮者が誰かによって終わる時間がバラバラなのだ。
だから検討材料には2つの演奏が必要だった。
CDの標準収録時間を検討する材料の一つは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーによる超名盤、1951年バイロイト祝祭管弦楽団の演奏。
もう一つは、 開発のアドバイザーを務めていたカラヤン1962年盤の演奏だった。
フルトヴェングラーの演奏はおよそ74分。
対して、カラヤンの演奏時間はおよそ67分。
この7分間の差がどこから来るのか?
それは一音の余韻を大切にするフルトヴェングラーと、機能美を追求したカラヤンのスタイルの違いが、この7分に凝縮されているからである。
どちらもそれぞれの趣があって、甲乙つけがたい名盤である。
しかし結局、最も遅い部類の名演であるフルトヴェングラー盤を基準に据えたことで、現在の12cm・74分という規格が誕生したのである。
重厚で地を這うようなフルトヴェングラーの74分。
颯爽と駆け抜けるようなカラヤンの67分。
フルトヴェングラー
カラヤン
どちらを基準にするかで、世界中の音楽メディアのサイズが決まる――。
まさに芸術がテクノロジーの限界を決めた瞬間だった。
もしカラヤンの67分に合わせていたら、CDの直径は現在の12cmではなく、11.5cm(あるいはもっと小さく)なっていたかもしれない。
今、我々の棚に並んでいるCDのサイズは、フルトヴェングラーの溜めと余韻が生んだ、芸術的な必然だったのである。
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