知識の泉
今すぐ誰かに話したくなる知的雑学
赤い帽子のヒーロー・マリオを生んだのは、プログラミングもできない新人と家賃を催促しに来た大家さん
知識は力なり
かの有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは言った。
「知識は力なり」と。
この言葉には、読んで字の如く「知識は自身の力になる」という意味とは別に、「経験によって得た知識を、いかにして実践的に使用することができるのか」という意味も込められている。
雑学も同様だと思う。
実際には、生きていく上で何の役にも立たないと思われている、どうでもいい情報群。
それが雑学という分野といえるだろう。
しかし雑学で得た知識を、どのように使うのかは人それぞれ。
普段の話のネタに困っている人。
トーク力を上げたい人。
飲み会やデートなどで知識を披露したい人。
知識を吸収したいけどあれこれ調べるのが面倒な人。
そして、物事の本質や奥深さを知りたい人。
純粋に「なるほど!」と思いたい人まで。
当たり前に感じていたことも、角度を変えた視野からみることで、別の面があることに初めて気付かされる。
その知識を他人にひけらかすだけでなく、その知識をもとに、固定観念から解放され、世の中の見え方を変えようではないか。
さすれば、「知識は力なり」の言葉の意味を実感できるはずである。
たった1枚の落書きと滞納した家賃から始まった、世界で最も有名なゲームキャラクター
日本が世界に誇るエンターテインメントの巨塔、任天堂。
Nintendo Switchは、2026年2月時点で世界累計販売台数1億5537万台を突破。
DSやWiiを超えて同社史上最大ヒットの記録している。
だが、その輝かしい成功のルーツを探ると、1980年という "絶望の淵" に突き当たることをご存知だろうか。
当時、任天堂アメリカ(NOA)は死に体だった。
自信満々で投入したアーケードゲーム「レーダースコープ」が全く売れず、3,000台もの巨大な在庫が倉庫を埋め尽くしていたからだ。
売れ残った筐体、膨らむ負債、滞納される家賃。
任天堂は、このままアメリカから消える。
誰もがそう確信していた。
そこで社長・山内溥氏(当時)は、京都の本社にいた一人の若者に命じる。
「その基板を使って、中身だけ差し替えられる新しいゲームを考えろ」
白羽の矢が立ったのは、工業デザイン専攻でおもちゃの絵を描くためにコネ入社※したばかりの新人・宮本茂氏。
彼にはプログラミングの知識が一切なかった。
当時の業界の常識であったスペック競争の、意味すらわからなかった。
だからこそ、常識に囚われなかった。
彼はコンピュータの計算式ではなく、パラパラ漫画のようなスケッチから開発を始めたのだ。
「なぜこのキャラクターはジャンプするのか?」
「なぜゴリラに樽を投げられるのか?」
宮本氏は仕様書ではなく物語を描くことで、技術的な制約を遊び心と物語で突破していく。
たとえば、 描画能力の限界で口が描けなかったから、大きな鼻とヒゲをつけた。
髪の毛が動く様子を表現できなかったから、帽子を被せた。
腕の振りを際立たせるために、あえて袖と色が違うオーバーオールを着せた。
技術の限界をデザインの工夫でハックした瞬間、世界初の「物語を持つゲーム」が誕生したのである。
こうして生まれた『ドンキーコング』は、アメリカで爆発的なヒットを記録する。
在庫処分するはずだったゲームが、倒産寸前の任天堂を救う奇跡の逆転劇を演じたのだ。
ちなみに、その主人公が「マリオ」と名付けられた理由もまた、あまりに世俗的で面白い。
ある日、滞納していた倉庫の家賃を催促しに、大家のマリオ・セガール氏が怒鳴り込んできた。
普通なら平謝りのこの場面でも、任天堂のスタッフは遊び心を忘れてはなかった。
なんと、その怒れる大家の姿がゲームの主人公にそっくりだったことから、社員たちは親愛と畏怖を込めて、名もなき「ジャンプマン」を「マリオ」と呼ぶことに決めたのである。
誰もが知るあの赤い帽子のヒーローは、こうして生まれた。
もし、あの時宮本茂氏が採用されていなかったら。
もし、彼がプログラミングの知識を持つ専門家だったら。
もし彼がいなければ、任天堂はアメリカから撤退し、現在の家庭用ゲーム市場は存在しなかったかもしれない。
SONYもMicrosoftも、任天堂が開拓したこの熱狂があったからこそ参入を決めたのだ。
今日、我々が手にしているSwitchも、iPhoneで遊ぶゲームも、そのルーツを探れば「倒産寸前の会社で、暇そうに落書きをしていた一人の新人」のペン先に突き当たる。
19世紀、かのエドワード・ブルワー=リットンは 「ペンは剣よりも強し(The pen is mightier than the sword)」と説いた。
暴力や権力が支配する世界において、言葉にはそれらを凌駕する力がある、と。
しかし、宮本氏が振るったペンは、誰かを屈服させるためのものではなかった。
描かれたのは、国境も世代も超えて人々を笑顔にする想像の魔法である。
日に日にきな臭さを増す世界。
未だ世界は紛争が絶えず、今もどこかで新しい紛争が起こる。
だが、世界を変えるのは断じて武力ではない。
いつだって、ひと振りのペンから始まる人の想像力なのだ。
その想像力と遊び心こそが、この殺伐とした世界をきっと救ってくれる。
そう信じている。
※.コネ入社
当時の任天堂はデザイナーの募集を行っていなかったが、宮本氏の父が任天堂社長・山内溥と友人だったこともあり、特例で面接の機会を得た。
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