知識の泉
今すぐ誰かに話したくなる知的雑学
学校なのに授業がない!? 世界が認めた日本最古「足利学校」の自学自習システム
知識は力なり
かの有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは言った。
「知識は力なり」と。
この言葉には、読んで字の如く「知識は自身の力になる」という意味とは別に、「経験によって得た知識を、いかにして実践的に使用することができるのか」という意味も込められている。
雑学も同様だと思う。
実際には、生きていく上で何の役にも立たないと思われている、どうでもいい情報群。
それが雑学という分野といえるだろう。
しかし雑学で得た知識を、どのように使うのかは人それぞれ。
普段の話のネタに困っている人。
トーク力を上げたい人。
飲み会やデートなどで知識を披露したい人。
知識を吸収したいけどあれこれ調べるのが面倒な人。
そして、物事の本質や奥深さを知りたい人。
純粋に「なるほど!」と思いたい人まで。
当たり前に感じていたことも、角度を変えた視野からみることで、別の面があることに初めて気付かされる。
その知識を他人にひけらかすだけでなく、その知識をもとに、固定観念から解放され、世の中の見え方を変えようではないか。
さすれば、「知識は力なり」の言葉の意味を実感できるはずである。
ザビエルが驚きヨーロッパに報告した「自学自習」という名の最強教育システム
「世界最古の企業」が大阪にあり、「世界最古の宿」が山梨にあり、「1000年続く餅」が京都にあるのなら、日本には「中世から続く世界的な大学」も存在した。
栃木県足利市にある「足利学校」である。
足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されている。
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説など諸説ある。
その歴史が明らかになるのは、室町時代の1439(永享11)年、関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからのこと。
そして応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、 戦国時代には全国から学徒が集まる儒学の最高学府としてその名を轟かせていた。
2026年現在、史跡として美しく整備されたその門をくぐれば、かつての学生たちが読経した声が聞こえてきそうな、静謐な空気が漂っている。
足利学校の名を世界に知らしめたのは、1549年に来日した宣教師フランシスコ・ザビエルである。
彼は著書の中で、足利学校をこう絶賛した。
日本で最も有名で最大の大学であり、坂東(関東)にある。
多くの学生が学問に励んでいる。
当時、ヨーロッパの知識層にとって「大学」といえばボローニャ大学やパリ大学といった名門を指すが、ザビエルはそれらと同等の、あるいはそれ以上の教育機関が極東の地にあることに驚愕したのである。
実は足利学校には決まった授業がほとんどなかった。
学生たちは全国から集まり、寮生活を送りながら、膨大な蔵書を読み耽り、互いに議論を戦わせることで学問を深めた。
まさに現代のアクティブ・ラーニング※の先駆けである。
当時としては画期的なことに、足利学校は向学心のある者なら誰でも受け入れた。
入学金や授業料は取らず、学生たちは近隣の農作業を手伝ったり、寄進によって生活を支えていたという。
「学びたい者に門戸を開く」という精神は、すでに数百年前に確立されていたのだ。
足利学校は儒学だけでなく、占い(易学)の総本山でもあった。
戦国武将たちは、合戦の吉凶や戦略を練る際、足利学校で学んだ軍師たちをこぞって重用した。
今で言う「戦略コンサルタント」の養成所でもあったわけだ。
江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復元完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしている。
1000年続く餅を食べる文化がある一方で、世界を驚かせるほどの高度な教育システムが維持されていた。この〈文武両道〉の土壌こそが、日本を世界一の老舗大国へと押し上げた原動力なのかもしれない。
※.アクティブ・ラーニング
アクティブ・ラーニングは、教員による一方的な講義形式(受動的学習)とは異なり、学生が主体的にグループディスカッション、ディベート、PBL(問題解決型学習)などの能動的な学修に参加することで、思考力、判断力、表現力、協調性などの汎用的な能力を育成する教育手法のこと。
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