以下の内容はhttps://inujin.hatenablog.com/entry/2025/02/08/221518より取得しました。


思い出は、意外とカラフル。

年を取ったせいだろう。
このところ、昔のことをよく思い出す。

もっと正確に言うと、以前だと「思い出したくもないイヤなこと」も、そんなに苦でもなく思い出せるようになった、と言うべきか。
中学校の頃の荒れまくっていた校内の様子とか、高校時代に勉強についていけなくなっていった感じとか、浪人生の時の孤独な時間とか、大学に入ってからまったく授業に出なかったこととか、そういうことも、ようやく素直な気持ちで思い出すことができるようになった気がする。

そこで思うのは「思い出したくもないイヤなこと」も、間違いなく自分の一部なのだ、ということだ。
いや、なんならそっちのほうが、より自分の内側に近いところにあるかもしれない。
楽しい思い出、幸せな思い出というのは、簡単に引き出して鑑賞することができる場所に置かれている。
だから何度も開けて、何度も愛でて、ああいい思い出だなあと味わうことができる。
一方で、イヤな思い出というのは、心のかなり奥底にしまっているので、それをのぞこうとすると、そのたびに、ぼくの大事な何かに触れてしまう。
だから、あ、怖い、と思って手を引っ込めてしまう。

だけど、重要なのはそこにぼくの「大事な何か」があるということなのである。

もうこの年になって、その「大事な何か」を見たり触れたりすることを恐れていても、しかたがない。
むしろ、たまには引っ張り出して、おお、こんなものもあったか、とか、これ、まだ使えるんじゃない?とかチェックして、なんならメンテナンスしてあげたほうがよい気がするのである。

そもそも、イヤな思い出というのは、その後のぼくの変化とセットになっている気がする。
あの灰色の大学時代の思い出と、文章を書くこととの出会いは対になっている。
大学の思い出は今でもモノクロームだが、図書館にこもって手当たり次第に本を読んでいたことや、そこで古くて分厚い「職業案内」という本をめくっていたこと、コピーライターという職業に惹かれたことなどは、今でもフルカラーで思い出すことができる。
「コピーライターになるには文章を書く力だけでなく、世の中の様々なことに詳しくなる必要があります。またアイデアを考え抜く力も必要です。一人の人間としての知恵と経験が試されることになるでしょう」
その挑戦的な言葉に、ぼくはドキドキしたのである。
ぼくはもうコピーライターではないけれども、世の中の様々なことに、少しは詳しくなったと思う。アイデアを考え抜くことはずっと続けている。一人の人間として、人生の終わらない探求を続けたいと、今でも傲慢にも思っている。

世界は本当に面白いと思う。
とても複雑に入り組んでいて、簡単に解けるような問題などほんのわずかで、だいたいのことに本当の答えなんかない。
若い頃は、その複雑さを前に、それでもオレは答えを見つけてやると勇んで立ち向かう。
そして、年を取って、気づくのである。
自分もこの世界をより複雑にしている一部なのであると。

その複雑さを憎んだ時期もあった。
ずいぶん汚い大人になってしまったと思い、しかしそれを認められず、見て見ぬふりをし続けていたように思う。
だけど今は、複雑な自分のことを大切に思える。
ぼくの見苦しいほどの複雑さは、これまで生きて、もがいて、なんとかやってきた証拠なのである。
そして、それらをじっと見つめているうちに、ぼくは気づく。
しかし人生は、まわりまわって、意外と、とてもシンプルなんじゃないかと。
意外とカラフルで、きらきらと輝いていて、思ったよりもずっと美しいんじゃないかと。

そんな風に、過去のことを思い出せるなら、年を取るのは悪くないなと、ちょっと思ったりする。




以上の内容はhttps://inujin.hatenablog.com/entry/2025/02/08/221518より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14