何か、自分について書き始めると、「この辛い場面を乗り越えてこそ人生」とか「しんどいことから逃れることなんてできなくて、苦しみ、悩みながらも進んでいくのが人生」とか書きがちだ。
それを氷河期世代ならではの抑圧されたかわいそうな価値観だというなら、まあそうかもしれない。
もっと気楽にやったほうがいいんじゃないかと言われたら、きっとそうなのだろう。
しかし、ぼくの人生というのは、気楽に手を抜きながらやっていこうとすると必ず何か失敗するし、失敗しないまでも、不完全燃焼の日々が続き、勝手にモヤモヤとしはじめ、ロクなことにならない。
それよりも、ここが勝負どころだと決めこんで、目の前のことに集中して、あまり後先を考えずに取り組む。
その間は試行錯誤の繰り返しで、なかなか光明が見えてこなくて、あれこれともがいてみて、どうやら行き詰まったかもしれないと思って、しかしもうこれ以上何も打開策が思いつかないので風呂にも入らずに寝ることにする。
翌朝、だるい気持ちを引きずったまま、面倒だなと思いながらシャワーを浴びているうちに気分が良くなってきて、体の内側からアイデアが湧き上がってきて、よっしゃあ!と叫ぶ。
残念ながら、そんな、他人から見れば非効率極まりない、ムダだらけの時間が、ぼくにとっては心地のよいものなのだ。
ただまあ、もうちょっとそういう瞬間を計画的に作っていってもいいのかもしれない。
つまりは、何かを仕上げるまでのリードタイムを、そういう抑揚のある、生きものとして扱うということだ。
あるいは一つの曲を演奏するように。
ぼくにとって人生とは、(人生だけに)とても生き生きとしていて、予測がつかず、波のように寄せては引き、しかし呼びかければ応えてくれて、いつも自分の真ん中にあるものだと思う。
そのとき、ぼくは自分自身は自然の一部だと感じるし、自然はぼくの一部だとも思う。
そうやって、何もかもが一体となる瞬間を感じたくて、ぼくはもがき続ける人生を選んでいるのかもしれない。