どーも、記事を書き始めていたにも関わらず、MVのあまりの衝撃波、いや衝撃風に全て吹き飛ばされていました、ことJ太郎と申しますこんにちは。
風氏、この短期間に犬からギャングは流石に転生しすぎ。
今回語りたいのは勿論『Love Like This』。
こちら、発売まであとひと月を切った全世界待望の3rdアルバム『Prema』からのリードシングル第二弾!
歌詞のことやら楽曲のことやらあれこれ書いていく。(以下『Love Like This』をL.L.Tと表記)
前置き
もういくつ寝ると『Prema』が現実を帯びてきた今日この頃、まさかリリースまでされると思っていなかったので正直びっくりしている。しかもMV付き。
全9曲入りであることが明言されているこのアルバム、時期的な面もあるが、藤井風の所属する”Republic Records”も視野に入れているであろうグラミー賞の選考基準中に「アルバム中、新規録音された音楽の再生時間が75%を超える必要があります」*1という文言があるので割合的に最後のリリースの可能性が高い。
個人的には『Hachikō』と『L.L.T』という全く音楽性の違う楽曲をリード曲にもってきたところに強いメッセージ性を感じる。
『Hachikō』は藤井風の新章開幕!をそのまま表すようなアップビートのリズム、そして” You've been patiently waiting for me”という待ち続けたファン達への感謝や信頼のメッセージを含む楽曲であった。一方で今作『L.L.T』については自己の深い意識、あるいは魂の観念を掘り下げるかのような内省的で美しく、アート性も高い楽曲となっている。
『Hachikō』の持つシンボリックなパワーと『L.L.T』のアーティスティックな概念性という一見相反する側面が、そのまま藤井風の振れ幅とグローバル感を強く印象付ける結果になっている。
だから、単なる曲調の違いだけでなくチーム風の”意味と戦略”が溶けあった結果なんだよってことは最初に強調しておきたい。すべては"Intentionally(意図的)"ってわけ。チーム風マジチーム風。
なぜ『Love Like This』なのか
さて本題。いつも前置き長くてすまんね。助走しないと高く跳べないんですよ僕。
リリースされてから聴き込んでいると、なんて広がりのある素敵な楽曲なんだろうと驚くばかり。しかも、一見シンプルなようで、よく聴くと構成も音使いもめっちゃ繊細、まるでシルクに包まれているかのごとき癒され具合。とんでもねぇラグジュアリーさとチルさ。え?『L.L.T』って"Luxury Lo-fi Time"の略だっけ?
で、この楽曲を聴いてからずっと思い悩んでることがあるんですよ。歌詞中では “Never love like this” って何度も言ってるのに、タイトルはあえて"Never"を外した 『Love Like This』にしてる。これにもう1週間ウンウン唸ってる。え?そんなこと?って思う人の方が多いと思うんだけど、これ実はセオリーからだいーぶ外れたことやってるんです。特に洋楽のタイトルの場合、曖昧さを避けてより直接的なタイトルをつける方が一般的。しかも「Never」入れた方が「叶わなかった愛情」をセンチメンタルに題へ落とし込むことができる。でも風氏はそう簡単には落とし込ませてくれない。
で、結論この謎を解くカギは「揺らぎ・余白」にあると思っている。
まず、タイトルの"Love Like This"は和訳して「このような愛」。勿論この直訳が軸になるのは間違いないんだけど、あえて"Love"と"Like"を並べてきたことにもきっと意味がある。
つまり、"LoveとLike"という英語の中でも非常に繊細な感情のグラデーションをタイトル中に並列して置くことで、聴き手に対して「あえて断定しない」、「一言で言いきれない」曖昧で多層的な愛のかたちを提示している可能性がある。
たとえば、
Love Like This を「こんなふうに愛すること(深い愛)」と捉える一方で、
Like This を「こんなふうに好き(まだ未完成の、あるいは純粋で軽やかな気持ち)」と読むこともできる。
この2語を並べることで、愛と恋、憧れと献身、熱と静、軽さと重さ… そういった「愛の諸相と表情」を一挙に抱えたタイトルになってくる。マジで震える憧れる。
だから「Love」と「Like」の間にある、名状しがたい揺らぎみたいなものをタイトルに封じ込めたんじゃないかと思っていて、“Love (from Like) This”とか"Love (or Like) This"みたいな、Likeから始まっていつの間にかLoveにスライドしちゃってたとかの言語化できない気持ちをあえて断定せずに、ふわっと空中に浮かせたままにしてる。そう、それはまるで人に複雑な感情の間に揺蕩う魂の浮遊体。
もしここで“Never”をつけちゃうと、それってもう断定なんですよね。固定化・過去形になってしまい、「グラデーション」ではなく「終止符」の響きが強くなる。つまり、詩的な揺らぎや多義性が消えてしまう。「こんな愛、二度とない」って。エモいけど、その分余白は消えさる。
だから、藤井風があえて「Love Like This」と柔らかく、開かれた言葉をタイトルに選んだのは、リスナーひとりひとりの「愛の記憶」や「今感じている愛のかたち」を否定しないように、そして“どんな愛も正解だ”という含みを持たせるためだったのかもしれない。
『旅路』においても「色々あるけど」、とどんな人も平等に感じ、その感情を否定しないよう歌った姿勢は英語詞においても、一切ブレていない。
終わりを歌いながら、永遠を感じさせる。
断定を避けながら、感情の核心に触れる。
あまりにも余白の魔術師。藤井余白、ここに極まる。
MVと歌詞について:乖離の美学と藤井風的逆転構造
そして、MVですよ。ついにこの日が来たか…と感慨深さすら生まれた美しいラブロマンスMV。僕が「そう来たか!」と膝から崩れ落ちたのは、歌詞と映像の乖離性。マニアック過ぎてごめんね、僕HEHN態なんで。
これまでの藤井風楽曲では、恋愛ソングに見せかけて、実は信仰や精神性、ハイヤーセルフとの対話を描いていたという“内包型”の構造が多かった。
『死ぬのがいいわ』しかり、『罪の香り』しかり。熱い愛の核心に恋のベールを被せていた、と表現してもいいかもしれない。
ところが今回の『L.L.T』では、歌詞の中に
Sacred
Divine
Paradise
といった、宗教的・精神的な語彙が明確に登場しているにも関わらず、MVは完全にラブロマンスの世界観。これはもう、藤井風的逆転の美学。“裏切り”の藤井風。
つまり、今までは「恋愛っぽいけど実は精神性」だったのが、今回は「精神性っぽいけど実は恋愛」。この構造の反転が、彼の表現の自由度と遊び心、そして深い意図を感じさせる。
これこそが"Intentionally"ってあえて表現した理由なんだと思う。

彼らの"粋"を感じとりたいから。
だけど、これを単なる“ギャップ”として片付けるのはもったいない。
むしろ、MVが“人間のロマンス”を描くことで、歌詞の“神聖な愛”がより際立つという構造になっている。
先述したタイトルの意味でも語ったように、MVが「Like」の側面を、歌詞が「Love」の側面を担っているとも言える。
MVの中で描かれるのは、触れ合い、見つめ合い、心が通う瞬間。それはまさに「Love Like This」の“Like”の部分。
一方で、歌詞は「この愛は神聖で、魂の救済で、永遠に続くものだ」と語る。
それが“Love”の部分。
この二つが重なった時、僕らはようやく「Love Like This」の全体像を掴むことができる。
映像と音楽。
それぞれが独立した存在ではなく、一つに溶け合うことでこそ、互いを補い合い"完全"となる。正に藤井風そのもの。
かつて『何なんw』MV撮影時に語った"Imperfectly Perfect"の意味に新たな解釈を加えることができる気すらしてきた。*2
あ、ストーリーの解釈…ギャングとの抗争があって実はかじぇは潜入捜査官でローラが黒幕で…みたいな妄想解釈は配信でやったので省きます。
僕らは『L.L.T』を生きてゆく
ちなみに今回僕が一番好きな歌詞は"Sweet divine invitation"です。あまりにも甘美で聖なる響き…Tシャツの標語にして毎晩抱いて寝たいレベルに好き。
あらためて、『Love Like This』は、ただのラブソングではない。
それは、藤井風が「愛とは何か」を問い続けた先に辿り着いた、愛のかたちの一つの提示。そして誰もが持つ“愛の記憶”にそっと触れる音楽だ。
音楽的にも「もう二度とは戻って来ないあの頃」にアクセスする楽曲でもある。「なんかあの曲に似てる気がする!」って感じはするけどこれほど「あの曲」がリスナーによって違うのは稀すぎる。
MVと歌詞、LoveとLike、神聖と日常。
そのすべてが、風のように揺らぎながら、僕らの心に吹き抜けていく。
断定されないからこそ、僕らはそれぞれの“Love Like This”を見つけてゆける。
『Prema』の全貌が明かされるその日まで、この余白の上でゴロゴロしながら、待ち続けたい。
それでは、お元気で。