高市首相はサッチャーを尊敬しているそうだが、両者は女性という以外に共通点がない。サッチャーは何よりも財政バラマキや政府の民間への介入をきらう、小さな政府を信念とする政治家だった。それは既得権保護を党是とするイギリス保守党では異端の思想だった。

1970年代のイギリスは労働党政権のもとで、10%を超えるインフレ率と失業率の続く「英国病」に悩まされていた。これに対してサッチャーなどの右派は、完全雇用を目標とするケインズ主義から、マネーサプライを制御してインフレを抑制するマネタリズムに転換すべきだと主張した。

これはフリードマンの理論で、サッチャーがそれを理解していたかどうかは疑わしいが、1979年に首相になると、彼女は政治的信念からマネタリスト的な経済政策をとった。その最初の政策が、為替管理を廃止する資本移動の自由化だった。これは国際資本移動を自由化し、イギリス金融資本が海外進出した。

国内でもマネーサプライを一定に保つために金利を上げ、長期金利は15%になったため、スタグフレーションが激化した。だがサッチャーは「レディは振り返らない」と宣言して、財政支出を大幅に削減する緊縮予算を出した。これによって失業率は上がり、ストライキが頻発して政権は危機に瀕した。

「ビッグバン」で金融資本主義に回帰した

保守党の支持率はガタ落ちで、サッチャーの退陣は確実だといわれていたが、1982年に起こったフォークランド紛争で、サッチャーが総指揮官として「鉄の女」を演じたことで支持率は回復し、1983年の総選挙では保守党が圧勝し、インフレ率も3~5%に下がった。

これ以降の第2期が、サッチャーの黄金時代となった。特に大きな成果をあげたのは1986年の「ビッグバン」を初めとする金融改革だった。これを指導したのはローソン蔵相で、一連の金融自由化でイギリスは金融資本主義の国に生まれ変わった。

第2期サッチャーの最大の決戦は、炭鉱の閉鎖に反対する石炭労組との戦いだった。当時イギリスは電力の半分近くを石炭に依存していたため、労組が全面ストライキをやると企業が週3日、休業する状況だったが、サッチャーは屈服せず、1年間のストライキは労組の全面敗北で終わった。

この他にもブリティッシュ・テレコムなど国営企業の民営化を進め、経済政策は大きな成功を収めたが、外交では必ずしもそうではなかった。特にサッチャーはポンドを欧州のERM(為替レートメカニズム)に統合することには反対で、ローソンなどの多数派と対立して政権が不安定化した。

サッチャーの命取りになったのは、1990年に一部の地域で導入された人頭税だった。これは固定資産税引き上げの代わりの財源で、年平均360ポンド前後というわずかな税額だったが、貧乏人も大富豪も同じ額を徴収する逆進性があるため、実施された地域では暴動が起こり、3年で廃止された。

一貫した「鉄の女」のイメージで改革が成功した

緊縮財政と民営化はサッチャーの一貫した方針だったが、国民には不人気だった。それが11年というイギリス史上最長の政権になったのは、フォークランド紛争などの幸運もさることながら、彼女のぶれない性格によって改革が貫徹されたからだろう。

サッチャー改革のような「外科手術」が効果をあらわすには、一定の時間がかかる。労働組合との戦いにも民営化にも最初は抵抗が強く、サッチャーは柔軟に譲歩して最終的には実現したが、対外的には「鉄の女」のイメージが役に立った。

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GDPでみると、サッチャー政権でめざましく成長率が上がったわけではないが、1970年代までの英国病を脱却したことは彼女の大きな功績である。しかし医療や福祉には手をつけず、それはいまだにイギリス政治の難問として残っている。