第2次大戦を振り返ると、日米戦争で日本が負けたのは当たり前だが、中国が14年も粘ったのは意外だった。当時も日本軍は満州事変のように簡単に国民党を倒せると思っていたようだが、蒋介石は意外にしぶとかった。そのパワーの源泉は何だろうか。
一つは日中戦争が世界史上初のゲリラ戦だったことだろう。日本軍は正規軍だったが、国民党軍のほとんどは民兵だった。装備は貧弱だったが人数は多く、正規軍との見分けがつかなかった。中国共産党もソ連の支援を受けて国民党と戦ったが、1936年の西安事件で国共合作が実現し、全滅をまぬがれた。
もう一つはアメリカである。蒋介石はルーズベルトにたびたび書簡を送って日本と戦うよう進言し、妻の宋美齢は訪米してロビー活動した。1941年に日本が南部仏印進駐した直後、蒋介石はアメリカに対日石油禁輸して「最後通牒」を出すべきだと進言し、ルーズベルトはその通り日本を追い詰めて日米戦争を始めた。蒋介石は抗日戦争に勝ったのではなく、アメリカを利用して日本を大陸から追い出したのだ。
中共が本格的な内戦を始めたのは、日米戦争が始まった1943年以降である。蒋介石の方針は孫文の三民主義を継承して中共を排除するものだったが、これに対して毛沢東は蒋介石を「ファシスト」と攻撃した。日本軍は50万人の兵力を投入して「打通作戦」で成都爆撃などを実行したが、これは結果的には国民党政権への打撃となった。
続きは8月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
一つは日中戦争が世界史上初のゲリラ戦だったことだろう。日本軍は正規軍だったが、国民党軍のほとんどは民兵だった。装備は貧弱だったが人数は多く、正規軍との見分けがつかなかった。中国共産党もソ連の支援を受けて国民党と戦ったが、1936年の西安事件で国共合作が実現し、全滅をまぬがれた。
もう一つはアメリカである。蒋介石はルーズベルトにたびたび書簡を送って日本と戦うよう進言し、妻の宋美齢は訪米してロビー活動した。1941年に日本が南部仏印進駐した直後、蒋介石はアメリカに対日石油禁輸して「最後通牒」を出すべきだと進言し、ルーズベルトはその通り日本を追い詰めて日米戦争を始めた。蒋介石は抗日戦争に勝ったのではなく、アメリカを利用して日本を大陸から追い出したのだ。
中共が本格的な内戦を始めたのは、日米戦争が始まった1943年以降である。蒋介石の方針は孫文の三民主義を継承して中共を排除するものだったが、これに対して毛沢東は蒋介石を「ファシスト」と攻撃した。日本軍は50万人の兵力を投入して「打通作戦」で成都爆撃などを実行したが、これは結果的には国民党政権への打撃となった。
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