また中選挙区制に戻そうという話が、野党の一部から出ている。こういう議員は、政権を取ることを考えていない。選挙区で自民党のオマケとして気楽にやりたいだけだ。そういう55年体制が38年も続いたおかげで、野党にはいまだに万年野党体質が抜きがたく残っている。

その最大の責任は社会党にあるが、最初からそうだったわけではない。1950年代には独自の安保構想を考えた西尾末広などの右派があり、60年代にはヨーロッパ型の構造改革をめざす江田三郎などもいたが、すべて党から追放された。共産党にも構造改革派の上田兄弟(上田耕一郎・不破哲三)がいたが、宮本顕治のスターリニズムに屈服した。

労働組合が経営を考える必要がないように、万年野党が政策を考える必要はない。政権につくことを考えなければ、なるべく美しい理想主義をとなえたほうがいい。このように実現できない理想をとなえる社会党の体質を著者は夢想主義と呼ぶが、これが他の野党やメディアにも感染し、日本の政治には自民党以外の選択肢がなくなってしまった。
GHQが社会党をつくった

社会党は、終戦直後にGHQのつくった党である。当時のGHQの主流はニューディーラーで、統制経済でないと日本の復興はできないと考えていた。経済復興のためには経済学者の知恵が必要だが、当時はマル経しかいなかったので、吉田茂も大内兵衛や有沢弘巳などを経済顧問にした。戦後復興に重要な役割を果たす「傾斜生産方式」を発案したのは有沢だった。

1946年の戦後初の総選挙で第1党になったのは社会党だったが、片山哲内閣は少数与党ですぐ行き詰まり、わずか8ヶ月で空中分解した。このころGHQの主流が共和党系のG2に変わり、冷戦の激化とともに占領政策が大きく転換した。公職追放された戦前の指導者が復帰する一方、左翼はレッド・パージで追放され、米政府は吉田内閣に再軍備を迫った。

これに対して左翼の方針は分裂し、全面講和をとなえて階級政党の方針を維持しようとする左派と、現実主義的な右派が対立し、1950年には左右に分裂した。この年には朝鮮戦争が始まり、これに対する方針をめぐって左右の妥協が不可能になったためだ。その後、左右は合同したが、一貫して左派が党内の主導権を握った。

同じ時期に自由党と民主党が合同して自民党を結成したのが「55年体制」だが、実質的には保守一党支配がその後ずっと続いた。社会党の議席はこの直後の1958年の総選挙での166議席が最高で、その後も民社党などを合わせても半数に遠く及ばず、かといって自民党の憲法改正を阻止する1/3は守るという微妙なバランスが続いた。

野党を分断した憲法

60年安保で敗北したあとは、総選挙でも過半数の候補も立てない万年野党体質が強まった。同じ時期にヨーロッパの社会主義政党は、政権政党への脱皮をはかった。たとえばドイツの社会民主党も50年代には左右対立が激しかったが、1959年のゴーデスベルク綱領で「階級闘争とマルクス主義を放棄する」と明記し、国民政党への脱皮に成功した。

しかし社会党は、その基盤とする総評が官公労中心で一貫して左派だった。これに反発する労使協調路線の組合が分裂して同盟を結成すると、西尾末広は脱党して民社党を結成した。江田三郎の構造改革論も排除され、社会市民連合をつくったが、いずれも大きな勢力にならなかった。自民党の個人後援会に対抗できる組織力をもっていたのは、総評だけだったからだ。

60年代には石橋政嗣が非武装中立を党是とし、自衛隊と安保条約は「違憲だが合法だ」として追認する方針を取った。これがその後も継承され、国政レベルでは社会党の長期低落が続いたが、70年代には革新自治体が生まれて民社党を排除した社共共闘が成功し、社公民は政権を取れなかった。

最後の改革のチャンスは、1993年の細川政権で与党になったときだったが、このときも左派が「反小沢」で結集して村山政権をつくり、いきなり自衛隊も安保も認めて社会党は崩壊してしまった。かつて民社党を「改良主義」とバカにしていた社会党が、1996年に「社会民主党」と党名を変更したとき、その歴史は終わったのだ。

農民政党だった自民党から政権を奪うには、社会党は都市政党として合理的な対案を出す必要があったが、「護憲」や「非武装中立」の夢想主義で自縄自縛になり、国民政党に脱皮できなかった。民主党政権では成熟したかと思ったが、2015年の安保騒動では社会党路線に戻ってしまった。今も立民党を呪縛しているのは、この総評=社会党路線である。

それに対して社民路線を取ろうとした民社党は、第二組合に依存した同盟の組織力が弱く、現実的な政策をとると「自民党と同じだ」といわれて差別化できず、自民党の補完勢力になって埋没した。今の国民民主党は「令和の民社党」の道を歩んでいる。昨年の総選挙で躍進したのも、実は旧同盟系労組の力が大きかった。

しかし連合の中では依然として官公労中心の左派が強く、それが今も立民左派の夢想主義を支えている。これを切らないと野党はまとまることができず、政権を取ることもできない。今の国民民主党のままでは、民社党のように自公政権に埋没するだろう。